尾崎の郷愁風景

大阪府阪南市<漁村・港町> 地図
町並度 5 非俗化度 10 −和泉南部の海沿いの町−
 


 和歌山県境に近い泉州南部の町・尾崎の町は今でも漁師町の匂いが充満している。淡路島や四国に向けて陸地がせり出している地形もあって、それらの地域に向う和泉の海の玄関として古くから知られていた。
尾崎の町並




旧紀州街道沿いには町家が軒を並べる姿が所々眼につきます。




街道から外れた一角にある造り酒屋付近の町並




漁師町らしい路地風景も多く残っています。
 

 現在の町の姿は南海電気鉄道の線路を跨いで東側は大阪近郊の新興住宅地・商業地であり、難波までは30分余りである。大都市圏に含まれ近代的な郊外都市のイメージである。しかし線路の西側はそうではない。和歌山城下に向っていた旧紀州街道(孝子越道)から派生する数多くの小路は細かく入り乱れて錯綜した路地風景が展開していて
、その先は海が開けている。
 駅前を北東から南西に走る幹線道路の一本海側が旧紀州街道である。中2階または総2階の、虫籠窓などをまとった旧家らしい建物が幾つか残っている。出格子、持送りなどの意匠も特に保存活動されることなく程度よく残っていて、古い町並の雰囲気を高めていた。
 さらにこの街道に直交するような形で数多くの路地が巡り、板塀に囲われた漁家らしい家々や重厚な蔵を従えた造り酒屋の座敷などが見られ、面的に広がった町並を形成している。
 ここの漁民の活躍は江戸初期にも記録され、秀吉の朝鮮出兵の折には水先案内役を任されたという。漁業は近海漁業が中心だったらしく干鰯が名産であり、また農業も木綿を筆頭にして菜種や米などを植付け、これらの商品作物でも町は栄え発達した。
 路地の先には尾崎漁港があり、訪問当日は正月早々だったので漁船は全て港内にとどまり大漁旗を掲げて待機していた。その姿に、現在でも漁業の町であるのを感じた。紀州街道沿いでも路地でも、潮の香りが漂ってくるような風情が漂っていた。
 
  


訪問日:2005.01.02 TOP 町並INDEX