陸中花輪の郷愁風景

秋田県鹿角市【産業町・在郷町】 地図
 
町並度 4 非俗化度 6 −秋田藩に接する陸中鹿角地区の要地−
 




花輪の町並 左は旧関善酒店




 秋田県の北東部を占める鹿角地区は、藩政期は陸中国に属しており盛岡藩の統治を受けていた。
 中心となる花輪村は鹿角街道(津軽街道)に沿い、秋田藩境の要地として樋口館をはじめとする要害屋敷を築き、花輪南部氏による警備が行われていた。鹿角地方を統治する代官所も置かれた。
 特筆されるものとして鉱山がある。特に尾去沢鉱山は良質の金や銅が産出され、古くは奈良大仏や平泉の中尊寺などにも使用されたという。有力な商人もあらわれ、中では盛岡藩の番付で西の筆頭に挙げられるほどの豪商もあった。花輪はこの鉱山資源を核に、国境の要地として、また街道集落として発達した。
 尾去沢鉱山は明治になると三菱の経営となり、近代的な鉱山として隆盛を極めたが、戦後になると衰退し昭和53年には閉山するに至った。国鉄花輪線や国道の開通もあり、旧街道沿いの町並も賑わいが徐々に失われていった。
 花輪の古くからの街区は県道66号沿いにある。これが旧鹿角街道で、ひときわ眼を引くのが間口の大きく立派な造り酒屋の建物だ。旧関善酒店の主屋で、前面にこの地方でこもせと呼ばれる木製の庇を備えている。新潟で雁木、青森県黒石などでこみせと呼ばれるものと同様で、歩道を冬季の積雪から守り歩行者の利便を図るものだ。かつてはこの通り1kmにわたってこもせの町並があったといわれる。
 現在はこの造り酒屋の建物の他に、もと商家であっただろう伝統的な建物が数棟散見されるが、古い町並としての連続性が乏しいのが惜しまれる。商家裏手の土蔵のみが残り、更地になっているケースもあった。北部はアーケードのある商店街となっているが、この界隈もかつては伝統的な商家などが連なる町並が展開していたものと思われる。
 こもせと並んで町並で眼につくのが水場である。地元で「おせど」と呼ばれる泉で、盆地と台地の境にあるこの付近で湧き出し酒造りなどに欠かせない水となった。今でも汲みに来る人が多いという。



「こもせ」の残る旧家



「おせど」と呼ばれる湧水





訪問日:2016.12.30 TOP 町並INDEX