大野の郷愁風景

岩手県大野村<宿場町・産業町> 地図 <洋野町>
 
町並度 5 非俗化度 9 −沿岸部・内陸部の結節点にある宿場町 製鉄業も発達-



旧街道に沿い展開する大野の町並
 

 大野村は県の北東部、二戸市と久慈市との中間付近に位置し複数の街路が交わり、小さな市街地を形成している。
 藩政時代ははじめ盛岡藩領で、寛文4(1664)年から幕末まで八戸藩領の久慈通大野名主組に属した
(通とは藩の下位にあたる行政単位)
 二戸と久慈を結ぶ九戸街道と、八戸からの街道が交差するところであった。沿岸部と内陸部との物資の流通は盛んで、小さな宿場町が形成された。また周囲で生産される砂鉄や薪炭により製鉄業も興り、町場が発達した。製鉄については、既に元禄年間には相当量の生産規模を有していたとされている。製鉄業での蓄財をもとに酒造業なども手がけ、大地主に成長した家もあったという。鉄製品は藩の重要な移出品として、八戸の鮫湊や八木港から積出された。
 北上山地北東端にあって山背による冷害も受けやすい地形にあり、稲作には不向きで雑穀や大豆などを零細に栽培する程度であった農業条件の中で、このように物流・産業によって発達を見た。
 旧八戸街道と九戸街道の交点あたりを中心に町並が展開する。切妻・平入りの姿を示し、多くは商家や商店だったらしく一階部分が開放的な構造となっている。立上がりの高いせがい造りの商家建築も見られた。町の規模の割には大柄で見応えのある建物が見られるのも、宿場町のみならず製鉄を中心とした産業の栄えによるものだろうと推測できる。
 









訪問日:2018.05.02 TOP 町並INDEX