吉岡の郷愁風景

宮城県大和町<宿場町・陣屋町> 地図 
 
町並度 3 非俗化度 7 −各方面への街道も分岐した奥州街道の宿場町−
 

 

 

吉岡の町並 左は早坂屋の建物


 大和町吉岡は県中央部、国道4号の西側に面的に市街地が展開している。中世以来黒川郡の中心として位置づけられ、その歴史は古いものがある。
 発展の基盤となったのは吉岡城が置かれたことで、伊達政宗の三男・宗清が元和元(1615)に築城した。宝暦7(1757)年からは但木氏が入り領地を統治した。仙台藩ではこれらの支城や要害に伊達一族やその家臣を配し、藩の直轄からは切り離されていたことが特徴で、独立領主として存在していた。
 
また吉岡は街道の要衝としても重要な位置にあり、特に江戸期に入り街道が整備されたことで発展した。奥州街道が縦貫していたほか、ここから中新田方面に向う羽後街道、さらに松島道が分岐していたこともあり町場が発達した。北奥州の諸大名も参勤交代で盛んに往来した。しかし、仙台藩から直接恩恵を受けることができないため特に伝馬役の負担は村民にとって大きいものであり、宿場の経営は困窮していたという。宿場内に住む有力な9名の商人が1000両を拠出して藩に上納し、その利子を持って経営にあたるなど苦心の策が立てられた。
 旧宿場町は周囲より小高い台地上に道筋を構えており、その中央で街路が直角に折れ曲がっている。北から下町・中町・上町という地名も残り風情を感じさせるが、古い建物は多くは残っていなかった。歩いていると宿場町を形成していた情景は想起されるものの、主屋の一部や門だけ、または土蔵のみなど部分的な残存がほとんどである。その中で当宿一番の大店だったという屋号早坂屋が門と土蔵のみだが厳かな姿を残していた。所々に旧家などを紹介する案内板が見られたり、吉岡宿本陣案内所という施設があるなど、地元は認識されているようであった。




 

 



訪問日:2022.07.18 TOP 町並INDEX