二見の郷愁風景

  新潟県相川町<港町> 地図 <佐渡市>
 町並度 5 非俗化度 8 −相川の補助港として位置づけられた−















 二見地区は島の西部、真野湾の入口付近で冬の季節風や波浪を直接受けない地形条件でもあり、中世から港が開かれていた。
 江戸時代に入り全島が幕府領となり、相川の鉱山が開発されると、北側の姫津とともに補助港に指定された。北前船も多く寄港し、蝦夷や西国との交流も深かった。『佐渡国雑志』によれば、一度に60〜70艘の船が入港できる良港であったという。
 明治5年には民間の融資も受けて港湾が整備され、同時に海岸部を埋立て町割を行っている。近隣の漁村や能登などからの移住者も得て港町は賑わい、船問屋や廻船業者も多くこの頃が隆盛期であった。千石船が50艘も沖合いに停泊し越年するといった光景も、昭和の初期ごろまで見られたという。また、遊郭が設置されるなど遊興地の色合いを帯びていたともいわれ、それだけ港町としての賑わいがかなりのものであったことがわかる。
 現在見られる町並は、明治になって埋立造成されて以後の姿である。直線の街路に沿う家並は統一感をおぼえる。家々は平入りで、二階部分が飛び出したような外観の「せがい造り」にほぼ統一されているのが一番の理由だろう。戸袋などの細かな意匠は異なるにせよ、古い町並を構成する家屋にこれほど共通点の多いことは稀だろう。
 造成された当時から家々が更新されていないからか、ある一時期に建て替えまたは改修されたからか、その理由はわからない。しかしその統一感、家々の構造の独特さが見応えのある町並風景を演出していた。

訪問日:2017.05.01 TOP 町並INDEX