新潟県真野町<宿場町・商業町> 地図 <佐渡市> 町並度 3 非俗化度 7 −金山によってもたらされた離島の宿場町− |
真野新町の町並 左は本陣を務めた山本家 | |
佐渡島の中部西岸にある真野はかつて佐渡国の国府が置かれていたとされ、歴史の古い寺社も多く佐渡の飛鳥路とも呼ばれている。 江戸時代に入り全島が幕府領となると、政治の中枢は金山で栄えた相川に移り、主要な港に代官所が置かれた。真野を含む島中央の平野部は農村地帯となり、相川をはじめとした鉱山都市や町場に販路を持った。また周囲にも小規模ながら金・銀が採掘される鉱山が開発され、主要産業の一つとなった。 江戸期には相川の金や銀は、陸路で島南端の小木まで搬送さた後に海上輸送されるのが一般的であり、その間に街道が整備された。小木街道と呼ばれ、この街道からは山地を越えて赤泊に向う街道も分岐していた。 現在町の中心である真野新町はその宿場町として発達したところだという。大きな島とはいえ、離島で街道が整備され宿駅も設置されていたというのは驚きで、他に例を見ないことと思われる。それだけ相川の鉱山の発達は大きく、またそれを支える生活物資などの需要も大きかったのだろう。 国道350号線沿いには新町・中町などの地名が残り、また間口の狭く奥行の深い家並が展開していることで街道集落らしさが今に残っている。但し、国道の拡張に伴って多くが建替えられたようで、家並からは古い町並らしい色が今ひとつ淡いという印象である。 平入りの建物が目立つたたずまいにあって、ひときわ目立つ妻入りの建物がある。本陣を務めていた山本家で、相川鉱山の山師であったが寛文12(1672)年に新町に移住、酒造や廻船業を興した名家である。 周囲には現在でもアルコール共和国と銘打って公開される造り酒屋もある。背後には島とは思えない穀倉地帯の広がりを控えていて、酒造りに適していたのだろう。 |
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