長崎街道沿いの郷愁風景

佐賀市柳町・長瀬町他<城下町・宿場町> 地図(八戸付近)地図(柳町付近)
 
町並度 5 非俗化度 7 −旧街道沿いに線状に残る城下町時代の佇い−





佐賀城址に近い柳町の町並。旧長崎街道沿いに町家建築・洋風建築がある程度のまとまりを持って残っている。 柳町の町並。右手奥は旧城下町で最古の町家建築である旧牛島家住宅。


 藩幕体勢下、佐賀は鍋島氏の城下町として無類の発展を続けたことはよく知られている。低湿地帯であったこの地域を治水・干拓により沃野とするなど、手掛けた土木工事は領内100箇所にも及ぶといわれる。
 この町は大きな戦災を受けていない。駅前の大通りなどからは近代的な都市景観が広がってくるが、その横道に入ると、意外なほど歴史を感じさせる家並が都心近くに残っているものである。
 佐賀城址周辺も水のある風景のもとに大隈重信旧宅など見所の多い地区であるが、ここではその北側、城下を東西に貫いていた旧長崎街道沿いに残る町並を中心に紹介したい。
 佐賀城の北側に位置する柳町界隈。ここは城下三十三町の一つに数えられ、東西に長崎街道が通っている。町の東西の入口には木戸が設けられていたそうで、家来・足軽・徒士など武家の家柄も多く住まう地であった。その他多くの町人が住み、桶屋などの職人も多かったそうだ。
 それらが今でも古い町並としての体裁を保っていた。ここは佐賀駅からもそう遠くない、都心といってもいい地区である。妻入りで鉄板扉を付けた九州北部の典型的な町家群が連なる。旧古賀銀行の洋風建築もランドマークのように保存され、公開されている。
 そこから西は一旦官庁街などとなっていにしえの姿は途切れるが、国道264号線を越えて西進する辺りからまた徐々に古い匂いが感じられる。この辺りでは随所に直角に街路が曲る造りにしてあり、城下に入ってくる敵の眼をくらます目的があったようだ。
 佐賀城下の西の入口であった八戸地区は宿駅として町家・旅籠が建並んだ地区だ。八戸宿と呼ばれ、江戸末期にはここも城下に編入されている。
 この町並は非常に独特で、町角にも「鋸の刃状の町並」として案内板が立てられている。なるほど、街道に対してかなりの角度を持って立てられた家々は、三角形のデッドスペースを生んでいる。これは案内板によると、「敵が攻めてきたときにその窪みに隠れ、不意を突いて攻撃できるため」だそうである。いかにも城に近い町、防衛のことを第一に置いた家並といえる。
 城下町に編入されてからは宿駅としてだけでなく、家来や徒士、足軽も配置されていたといい、また職人、商人も多数あったといわれる。こちらは妻入り平入り混在で、例外なく白漆喰に塗りごめられていて、中には煉瓦を建築部材に取込んだものや、銅板葺の小屋根を持つ木製看板を掲げた、城下で最も古いとされる薬局(久保薬局)も現役であった。




八戸地区。この付近はクリーク地帯となっている。その一つに沿う造り酒屋の建物。 八戸地区の町並




街路に対してはすに構える鋸の刃状の家並が続く八戸地区
訪問日:2005.07.18 TOP 町並INDEX