下蚊屋・宮市の郷愁風景

鳥取県江府町<農村集落> 地図(下蚊屋)地図(宮市)
町並度 4 非俗化度 8  −大山の南麓 旧往還に沿う清々しい集落−


中国地方を代表する山・大山の南麓には蒜山高原という比較的平坦な高原地帯が広がっている。峠が険しくないこともあって、美作方面から山陰へ抜ける往来が古くから発達し、集落も発達していた。ここでは高原の西端付近にある二つの集落を紹介する。
下蚊屋集落の風景










 下蚊屋(さがりかや)集落は、一説によると後醍醐天皇がこの地で休息された折に「蚊はいないから蚊屋を吊る必要はない」と言って、休息場所の蚊屋を下げられたことが地名の由来ともされ、台地の谷間に位置する集落である。
 古くは正保4(1647)年の記録に「伯耆下萱木地屋」として18名の名が書かれている。主に近江国出身の彼ら木地師が移り住み、また塗師などもあり、職人の町として栄えていたらしい。最盛期には32軒もの木地屋があった。明治後期になると陶磁器の普及に伴い木地の需要が激減し、その後農業をその主産業に切替えている。現在は高冷地野菜の産地として知られる。
 江戸中期には日本三大牛馬市と呼ばれた大山牛馬市が開かれたが、美作方面からこの市へ向う街道はこの下蚊屋を経由した。市の開催時期にはここが宿駅的な役割を果していたという。外部、特に美作側からの接触が増えたことにより、婚姻・商圏は美作地方に伸展した。
 現在この集落は30戸余りの小さな農山村であるが、家々の造りは大きく、かつて大きく繁栄した裕福な町だったことを匂わせる。往来沿いに開けた集落らしく、緩やかに勾配し、またカーブしている街路筋に家々が並び、重量感のある木造2階、一部は漆喰の塗屋造り、海鼠壁を廻した意匠のものもあった。中には軒下に豪華で精緻な彫刻を施した持送りを備えた旧家もあった。
 街路沿いには水量豊かな冷たい流れがあり、所々に囲い場があって現在でも日常生活で使用されているのだろう。そして私が訪ねた時、外で遊ぶ子供たちの姿を多く眼にしたことが印象に残った。
 この地に伝わる郷土芸能に「荒神神楽」がある。備中国から伝えられたもので、出雲神話を種に農閑期を中心に賑やかに舞われるこの神楽は鳥取県の無形民俗文化財に指定されている。




宮市の町並
 宮市集落は、下蚊屋集落から西に3kmほど、こちらは台地上の開けたところに展開する。地名の由来は現在の宮市神社付近に古く市が立ったことによるとされる。
 現在は街村状で、往還に沿って家々が立ち並んだ様子が伺える。街路の両側にはこちらも水量豊かな流れがあり、今では農業用水に利用されている程度だろうが、かつては生活の全てをこの水に依っていたのだろう。
 トタンに覆われている家々の多くはかつて茅葺であったと思われる。それらは土蔵を従え、外見的には裕福な農家といった印象であった。


訪問日:2004.06.20
2016.05.05再取材
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