砂越の郷愁風景

山形県平田町<城下町> 地図  <酒田市>
 
町並度 5 非俗化度 8 −中世の城・砂越城址付近に連なる町並−







 砂越城址南側の街路に展開する町並


 港町酒田から南東に5km余り、最上川右岸に位置する砂越地区。羽越本線の駅が設置され、その東に町が開けている。
 中世には砂越城が存在した。12世紀中盤に播磨の豪族がここで館を構えたのが始まりといわれ、地理的に内陸最上地方と庄内地方の結節点であったことから戦国大名の抗争の地ともなり、砂越城はその拠点となった。中世に長期にわたって居城した砂越氏は庄内一円を支配していた。
 今残る当時の絵図では、最上川の右岸近くに本丸・二の丸が構えられ、その左右に侍屋敷、奥に控えた場所に家士町、町屋敷が配され、外側は水路が巡り濠の役目をしていたことが読み取れる。
 砂越城は関ヶ原の役後に最上氏の侵攻を受け落城、その後慶長20(1615)年に発令された一国一城令により廃城となった。
 本丸は現在の諏訪神社の位置にあり、案内標識がある。その南側の東西の筋には家並が連なり、妻入りのどっしりとした構えの家々が見られ、玄関先に松の古木などが植えられている家もあり格式を感じる。また一部ブロック塀に更新されているものの、板塀が続く風景もまた風情を感じさせる。この地域は明治27年の庄内大地震で大きな被害を受けているので、古くともそれ以後に建てられたものだろう。
 この町並が城下町に由来するものかどうかは、はっきりとはしない。文献はもちろん、ネットでも砂越城について探訪したり説明したものはあるが、町並についてはまったく手がかりが無かった。ただ本丸南の街路は絵図にも示されており、廃城後新たに町場が形成されたものと考えられる。今は最上川とは離れたところにあるが、かつては城郭のすぐ南を本流が流れていたようで、河岸などもあり賑わっていたのではと想像する。
 城跡の北側一帯は砂越城本丸公園として整備されていた。










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本丸跡にある諏訪神社

訪問日:2024.04.13 TOP 町並INDEX