西大寺門前の郷愁風景

岡山市西大寺<門前町・港町> 地図 (西大寺観音院付近を示す)
 町並度 6 非俗化度 7  −裸祭りで有名な西大寺の門前町−




西大寺観音院の仁王門と三重塔 門前の風景 渋い旧家が展開しはじめる
 

 西大寺の会陽(えよう)は俗に裸祭と呼ばれ毎年2月に行われる奇祭である。大和長谷寺から伝わったとも言われるこの祭は8世紀にも遡ろうという大変に伝統的なものでこの祭と西大寺は切っても切れないイメージとして全国に知られるところである。
 観音院と呼ばれる境内には豪壮な仁王門、三重塔、そして建築以来150年も毎年会陽の裸の群集を見てきた本堂があり、見応えのあるものである。一角には「観覧席」が設けられているのが印象的だ。
 一方、門前の町並が脚光を浴びることは少ない。裸祭の時期以外は遠来の観光客を受け入れる度合がそれほど高くなかったため、それらに迎合したようなたたずまいとはなっていない。それが逆に古い姿を留める結果となっている。
 
 町並は観音院を中心として吉井川よりすこし距離を置いた位置に連なる。西大寺は門前町であると同時に、江戸時代には吉井川を流れ下る商船の終点として、川港としての発展があった。大坂方面と備前・美作との物資の行き来が多く、問屋や卸売商人が台頭した。西大寺参拝客もあり大いに賑わったのであろう、門前・問屋・商業・港町が渾然一体となっていたことが歩いているとわかる。上流側に向っては一度それは途切れるが、旧河本町と呼ばれた西大寺東二丁目付近にも町家風の旧家が連続した風景が残っていた。さらに反対側、永安橋より南側の西大寺南二丁目付近にも古い町並が見られる。この辺り、かつては渡場町と呼ばれており、渡場町郵便局などの名や掲示板の町内会名などには今でも地名として生きている。吉井川との深い関係を示している。古い町並が見られるのは端から端まで約1.5kmに及びなかなか長いものだが、地形を見ると古くは全て吉井川の自然堤防上に展開していたことがわかる。今では高い堤防の内側となっているが周囲より少し高くなっているのだ。
 特徴的なのは観音院に近い付近を中心に洋風看板建築が多く見られることだ。それらはいずれも明治以降問屋や商店として近代的な意匠を取り入れたものだろう。建物を有効活用して喫茶店などに転用されている姿もあり、応援したい。
 




西大寺中三丁目の町並 町家だけでなく洋風看板建築が多く見られるのが特徴だ




西大寺東三丁目の町並




西大寺南二丁目の町並

※前半2枚:2002年8月撮影,その他:2008年4月撮影
訪問日:2002.08.14,2008.04.20 TOP 町並INDEX