佐伯の郷愁風景

大分県佐伯市<武家町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 7 −山麓に寺院群と旧武家地が展開する−






 佐伯市は県の南東部、豊後水道に面しており優れた海岸の風光と温暖な気候を有している。
 古くは荘園佐伯荘が存在し、また戦国初期には町の西縁に佐伯城が築かれていた。佐伯湾は良港で、明との貿易船の経由地として重視されており、豊後南部の重要な拠点となっていた。
城下東町の町並




城下西町の町並 中村西町の町並




城下西町の町並 城下東町の町並


 
 中世末期に佐伯氏は去ったが、関ヶ原合戦の翌年である慶長6(1601)年、隈城(現在の日田市)の城主をつとめていた毛利高政にこの地が与えられ、佐伯藩が成立した。城は新たに現在の市街地に近い八幡山の山頂に構え、麓の低湿地帯を開墾し城下町を建設した。山沿いに武家地を配し、番匠川下流のデルタ地帯に船頭町や内町などの商業地を配置している。この地域の町家数は最盛期には200軒余りの町家が存在したという。商取引は主に海運を通じて行われ、特に上方との流通が盛んだった。
 佐伯城跡の麓付近に「歴史と文学の道」と名付けられた道がある。この付近まで市街地化が及ばなかったのだろう、古き武家町の遺構があちこちに残っている。一般に旧武家町は土塀などが一部残るのみで、町並的な景観に達していないのが常なのだが、ここでは建物もよく残している。もっとも明治以降になって一般的な邸宅地として建て直したものであろうが、風情を醸すに十分な佇まいを残していた。
 毛利氏の菩提寺であった養賢寺は慶長10(1605)年の創建。その他各宗派の寺院が付近に集結し、佐伯五ヶ寺と呼ばれ付近一帯の名刹として訪れるものが多かった。
 屋敷地は白漆喰が多く用いられていることから明るい雰囲気で、開放感のある界隈である。
 一方旧町人地は多くが近代的な市街地に取って代わられている中で、その中心だった船頭町付近には造り酒屋や木造の伝統的な家屋など、わずかではあるが風情を感じることができる。




旧武家地以外でも船頭町付近を中心に造り酒屋などの味のある風景が見られる


訪問日:2011.04.30 TOP 町並INDEX