坂北(青柳)の郷愁風景

長野県坂北村【宿場町】 地図 <筑北村>
 町並度 5 非俗化度 8 −ひっそりと残る旧善光寺街道の宿駅−


 篠ノ井線は長野と名古屋方面を結ぶ幹線で特急も数多く走っているが、多くは山岳部を走り沿線に大きな町は少ない。しかし重要交通路としてこの地域は古くから開かれており、物資の輸送や善光寺参りをする旅客で賑わっていた。
坂北(旧青柳宿)の町並




 

 坂北駅から南に向うと坂道を経て旧善光寺街道につきあたる。小学校などの施設のある一帯を抜けると、徐々に伝統的な建造物が街道集落らしい姿で現れてくる。
 西に会田宿、東に麻績宿を控えたこの地は緩やかな起伏のある高原地帯にあり、中世には南北朝期以来の土着勢力として青柳氏が支配し、一時城も構えられていた。
 江戸時代は初期には松本藩領であったがその多くを幕府直轄領として経過し、善光寺街道の重要性も次第に増したことから宿駅・青柳宿が成立している。元々は青柳氏の侍町として人口の集積があったため、人々の往来が活発となり街場としての発達も自然なことであったろう。本陣も構えられていたという本格的な宿場であったが、それは青柳氏が世襲制で代々勤めていたものであったようだ。
 残る伝統的な建物は連続性こそ淡いものの、どっしりとした間口の広い商家風のものが多い。平入り主体だが一部に妻入りのものもあり、大きなうだつを張り出させた旧家もあった。また多くでは立派な煙抜きの小屋根を従えており、見事であった。屋根の面積に占める割合も大きく、養蚕のための気抜きも兼ねていたのではないかと推測される。
 案内看板を設置されたりと、地元では意識されているようだ。
 
 







訪問日:2012.01.03 TOP 町並INDEX