崎津の郷愁風景

熊本県河浦町<漁村> 地図 <天草市>
 町並度 5  非俗化度 6 −教会が見守る小さな漁村−

             

諏訪神社より集落を見下ろす 教会堂の見える路地風景




教会の周囲の家々も古くからの漁村らしい出で立ちであり、郷愁を誘います。

 

 天草下島の西岸にある崎津の町。穏やかそうな湾に抱かれ家々が狭い平地に寄り固まっている平和そうな漁村である。牛深方面からトンネルを抜けると、この集落の中に異質な教会建築が、一際存在感を放っているのを感じる。
 宝暦11(1761)年の村明細帳では本百姓15名が見られ、その他100名余りの漁師は全て無石の、いわゆる「水呑漁師」であった。しかし漁業権設定と運上取立を目的とする定浦制が敷かれ、この村は御用船に人を派遣する水主役を任されている。
 このように港としての歴史は古いものの、地方の一漁村という姿は、古くから一貫して変わりない。一方で東シナ海に直結する陸の玄関に位置するため、外国船の入津が度々あり、この小さな町が古くから国際交流していたことは特筆に価する。
 永禄12(1569)年にはこの地にキリスト教の布教を行ったルイス・デ・アルメイダ神父が来訪し、唐船も漂着した。寛文9(1670)年には通詞役人が置かれ、さらに遠見番所も置かれた。
 江戸時代には悉く弾圧され続けたキリスト教及びその信者だが、外国からわが国への門戸にあたる位置、中央からは僻遠の地にあったということもあるのだろう、崎津のキリシタンはその信仰を守り通し維新を迎えた。明治12年コール神父が来航、同16年に集落の山側にある諏訪神社下に仮会堂を建て、ついに21年、崎津教会堂が建設されたのである。集落の中にある現在の教会堂は昭和9年に移築再建されたものであった。
 静かな漁村に一見この洋風建築は似合わない。しかし町を歩いていると、次第に景色にこの建物が馴染んでくる。漁村らしい入組む路地のあちこちから屋根の尖塔が見える姿は、崎津独特のものであろう。
 町並などの本にもよく紹介されるため比較的よく知られた町だが、観光地として荒らされているという雰囲気は全くない。素朴な漁師町そのものであった。
 
 
 




訪問日:2004.05.03 TOP 町並INDEX