佐久高野の郷愁風景

長野県佐久町【宿場町】 地図 <佐久穂町>
 
町並度 4 非俗化度 8 −佐久甲州往還の宿場町−











高野町の町並


 佐久地方の中部、千曲川左岸に街道集落・高野町がある。中山道の岩村田宿から甲信国境を越え甲州街道の韮崎宿とを結んでいた佐久甲州街道という脇往還沿いに宿駅が設けられたところである。宿駅名は高野町宿と呼ばれ、また村名も高野町村と呼ばれるなど町が付されていた。町と呼ぶほど賑わいのあったところなのだろう。またここから東に上州下仁田に向う街道も分岐していた。
 慶安4(1651)年に甲府藩領となり、承応2(1653)年には甲府城主により陣屋が設置され、佐久領を管理した。しかし元禄14年に甲府城主徳川綱豊が将軍職を継いだことを機に、当地は幕府領に編入されたことから廃止となった。しかし享保10(1725)年に旗本水野氏領が設置されるとともに再び陣屋が置かれることとなり、以後50年ほど続くなど、小規模ながら陣屋町としての時代もあった。

 宿駅機能としては主に馬継ぎであったが、大工2・指物1・金具1・鍛冶3・木挽2・紺屋4、さらに畳屋・桶屋など多種にわたる職人が住まい、また商人も24名を数え各地に行商を行っていたなど
(享保10年明細帳)、商工業が発達した。市も定期的に開かれ、せり駒の市と称する馬市も行われていたようだ。  
 明治から大正にかけては職工200名を抱える製糸工場が設立、南佐久地方から繭を集め地域の一大製糸工業地となった。蚕種の製造も盛んに行われた。
 旧佐久甲州街道は国道の西側に残され、往時の街道風景が比較的原形を留めている。伝統的な建物が連続した箇所は少ないものの、古くからの町並であることははっきりと感じられる。妻入りで真壁というのが基本的な旧家の姿であるようだ。中山道などよりは家々の建て方にゆとりがあるように感じられた。
 南に八ヶ岳連峰を臨み、爽やかな探訪であった。

訪問日:2018.09.24 TOP 町並INDEX