三田の郷愁風景
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三田市は阪神都市圏の典型的な衛星都市として近年大きな発展を見た。神戸電鉄やJR福知山線は神戸や大阪の中心部に直結し、多くがその方面への通勤者で占められる。 周囲の丘陵地帯には大規模に団地が造成され、新しい住民は主にそこに居住している。一方で武庫川沿いの旧市街には予想外ともいえる古い町並が現存していた。 |
三田町の町並 | |
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三田町(本町通)の町並 | |
城下町に由来する三田の町は16世紀後半の天正期で、武庫川右岸の低地に三筋の町筋が整備されている。同8(1580)年一帯は秀吉の平定するところとなった。さらに10年には近江から山崎氏が秀吉より2万余石を拝領し三田に入ったが、関ヶ原の役の翌年である慶長6(1601)には因幡若桜に移封されている。その後一時丹波福知山領となった時期もあり、安定したのは寛永4(1627)年に九鬼氏が志摩国鳥羽から移ってきてからである。三木を含む摂津有馬郡と丹波氷上郡を股にかけて領有したが、本来は水軍なども従えていた同氏が内陸に封じ込められたのは関ヶ原の役時に石田光成率いる西軍についていたからだともいわれる。 旧城下町に最も近い鉄道の駅は神鉄三田本町駅で、そこから西に本町通が続いている。城下町の中心となる通りで、現在は商店街となっているものの町家の原型を留めた建物があちこちに眼につく。黒漆喰の塗屋造りの家屋が多いことで重厚さを感じさせる。 この本町通を中心に広い範囲にわたって古い町並が展開している。おもな場所は本町通の北側筋、旧道の追分にあった京口交差点より本町通へ向う街道筋、北西に位置する妙三寺・西方寺界隈。これらは旧三田町で、さらに車ヶ瀬橋で武庫川を渡り福知山線の線路を挟んだ三輪地区にかけても古い町並が断続的に見られる。これは突当りにある三輪神社の門前町だったところである。 古い町並が現存する状況から、古くからかなり広範囲にわたって町の賑わいがあったのだろう。際立った町並風景があるわけではないが、本町通を中心に今後の取組しだいで魅力ある伝統的な町の保存・活性化は可能だろう。 |
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中央町の町並 | 三輪一丁目の町並 |
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三田町(本町通の裏通)の町並 | 三田町(京町付近)の町並 |
訪問日:2008.11.23 | TOP | 町並INDEX |
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