三戸の郷愁風景

青森県三戸町【城下町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 9  −南部氏の勢力中心地 後に街道町・在郷町として町場が発達−




 
三戸(二日町)の町並

 

 三戸町は県の南東部、岩手県と境を接する内陸部の町である。
 町の中心から見て東側に城山公園があり、訪ねた時桜祭が行われていた。ここは中世に南部氏の勢力中心として三戸城が築かれ、拠点を構えたところだ。馬淵川とその支流の合流点付近に聳えるこの丘は濠と遠望目視を兼ね備えた天然の要害であった。後に領域を南に広げ、慶長4(1599)年に盛岡城が完成しても、福岡城(九戸城)とともに居城として併用する時代が当面続いた。
 江戸期に入ると三戸城には城代が置かれ、家臣団の屋敷も整備され城下町としての体裁が整えられた。町家も計画的に配置され、現在の町にも城下町時代に由来するものが多く残っている。
 その後寛永10(1633)年に盛岡城が居城と定められたが、それでも三戸城は古城と呼ばれ城代が預かる形で残り、三戸には代官所が置かれた。政治の中枢機能としての役割は以後も続いた。
 一方、街道交通の発達により当地の八日市と二日市は宿駅ともなり、また在町として商業も集積し町場が発達したという。伝馬が配備され荷の継立ても行われた。盛岡藩の在郷町として御蔵が置かれ、御用米などを収蔵、また地域一帯の産物であった麻糸、真綿、漆、素麺などの貯蔵・出納が行われた。また染物の材料であった紫紺は藩により町域外への移出が統制されていた。
 明治以降は煙草、林檎等の栽培も盛んに行われた。
 城山の西、馬淵川右岸に町の中心が開ける。役場近くの交差点から北に向って二日市・下町、西に向かうと八日市・同心町と歴史性をはらんだ町名が続く。商家・町家建築が散見されるほか、看板建築が多く見られるのも特徴だろう。ある時期に比較的大規模に町並が更新されたことをしめすもので、実際大正12年に三戸大火と呼ばれる火災が発生している。しかしそのことが町並を個性的なものにしている。
 八日町の一角に登録文化財の「佐滝本店」がある。雑貨屋を経営し銀行の頭取なども務めた佐藤氏の店舗跡で、奥行の深い敷地には土蔵や洋館なども残り、裕福な商家であったことを物語っていた。








登録文化財・佐滝本店は店舗や土蔵群 洋館も従えている

 
訪問日:2018.04.29 TOP 町並INDEX