八上・日置の郷愁風景

兵庫県篠山町<街道集落> 地図 <篠山市>
 町並度 5 非俗化度 8 −篠山城下の南郊外の街道上に連なる商家群−

 



 
 入母屋屋根の連なりを見せる八上地区の町並
 

 篠山城下町の南、東西に走る街道沿いに位置する八上地区は、篠山城築造前は地域の政治的中心として八上城が存在していた。中世末期より武家屋敷を設け、街道沿いには商工業家が並び市が開催されるなど賑やかな所であった。
 波多野氏は呉服町・魚屋町などの町づくりを行い、また宿場町も形成され町が発達したという。周囲の寺院も集まり一時は一つの町として完成した形になったとされる。しかし、慶長14年に篠山城が建設され、大規模に城下町の造成が開始されると八上の商家は次々とそちらに移り、急速に町は荒廃してしまったのである。
 この街道は亀山(亀岡)から和田山までの区間の山陰街道を、その脇道的に整備されていたもので、篠山城下への往来、播磨への道にもつながり行き交う物資も少なくなかった。この八上地区と東隣の日置地区は以後も街道集落として長らく息づくことになり、その東に宿駅・福住を控えていた。
 国道372号は旧道を上手く交わし、かつての街道筋はそのまま残されている。八上地区はもと茅葺を思わせるトタンに覆われた屋根が目立ち、それらが数棟連続した姿はなかなか壮観である。多くは入母屋・妻入りの形式を持ち、賑わいの中心から外れて随分経過しているとはいえ立派な佇まいである。一角には参勤交代の折や旅人の休泊場として利用された「重兵衛茶屋」がそのままの姿を留めているのも特筆される。
 



 
 八上地区の町並
 


重兵衛茶屋
 

 日置地区は比較的開けた雰囲気を持ち、街路幅も乗用車のすれ違いが悠々と行えるほどである。そのこともあり料亭や旅館などが伝統的な構えのまま営業されている姿も見られ、八上地区とは異なった風情を感じられる。ここは明治22年、八上地区を併合する形で日置村が成立、篠山町南郊外の中心的な地区として発展したようだ。
 



 
日置の町並 
 


日置の町並

訪問日:2023.10.22 TOP 町並INDEX