薩摩大口の郷愁風景

鹿児島県大口市【武家町】 地図 <伊佐市>
 
町並度 4 非俗化度 8 −国境を控えた地にあった郷士集落−










 


 県の北西部に位置する大口は川内川流域の盆地に市街地が開ける。
 
歴史は古く、古代より土地の豪族・牛屎
(うしくそ)氏の支配する地であったが、江戸に入ると薩摩藩領となり島津氏の領地となった。かつての牛山城を大口城として薩摩藩の外城とし、麓集落が形成された。
 大口は薩摩中南部をはじめ、肥後南部の水俣、人吉などとも近く、それらの地との交通の要衝であり商業も栄えた。そのため国境警備上も重要なところであり街道の随所に番所が置かれた。特に鶴丸城から数々の外城集落・麓を経由して肥後に達していた薩摩街道大口筋は重要な警備が敷かれていた。
 麓の中心は現在の大口小学校付近とされ、郷士集落としての雰囲気は濃くは感じられないが、玉石垣を重ね、生垣の連なる街路、茅葺の母屋が残る家など、武家町らしい風情が残る。市役所前の通りも、修景に配慮した様子が伺える。
 大口小学校の南側に残る郷士の住宅・祁答院
(けどういん)家が重要文化財の指定を受けているが、現在は見学できない様子であった。しかし周囲の石垣や生垣を配した景観を含め、貫禄を感じさせる。
 現在でも県北部の交通の要衝として、各方面へ国道が分岐し道路交通上の要となっている。鉄道もかつては山野線、宮之城線という2本の国鉄路線の連絡駅があったが、こちらはいずれも廃線となっている。
 




国重文・祁答院家住宅

訪問日:2017.06.10 TOP 町並INDEX