佐用の郷愁風景

兵庫県佐用町<陣屋町・宿場町> 地図 
 
町並度 4 非俗化度 10  −陣屋を中心に町場が形成された佐用川沿いの町−




佐用(旧上町)の町並


 佐用町は県の西部、千種川の支流である佐用川の流域を占めている。もとは「さよ」と読んだが、戦後に周辺町村を合併後は「さよう」と拗音で呼ばれるようになった。
 古くから姫路から美作を経由して山陰を結ぶ出雲街道と備前から因幡・但馬を結ぶ因幡街道が交差し、また佐用川には高瀬舟も往来し交通・物資輸送の面で重要な地であった。
 佐用は陣屋町として発展してきたところである。寛永17(1640)年に松井氏による陣屋が置かれると、上町・中町・川原町・新町が整備され家々が建ち並んだ。現在の佐用川左岸側、駅の北東付近に当たる。加えて町場内を出雲街道が横断していたことから宿場町としても発展した。西は土井宿、東は三日月宿に接続し、当宿で荷継ぎが行われていた。松江藩の本陣も置かれていたという。
 駅前付近は商店街となっており、また県道として道路拡幅されているため伝統的な建物は見られないものの、旧上町に相当する東側には幾分か古い町並が残っていた。ほぼ明治以降のものと思われるが間口の広い商家型の建物が多いことは、陣屋町を基盤にした在郷商業町として繁栄したであろうことがわかる。また呉服店の文字のあるやや大型の店舗もあるなど、賑わいを呈した一角だったのだろう。
 




佐用(旧上町)の町並




佐用(旧上町)の町並 佐用(旧中町)の町並

訪問日:2019.07.13 TOP 町並INDEX