湊の郷愁風景
兵庫県西淡町【港町】 地図 <南あわじ市> 町並度 4 非俗化度 8 −四国連絡航路の寄港地として発達した経歴を持つ− |
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湊の町並 商家風の建物が散見される | |
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左はもと旅館の建物 | |
淡路島の南西部、播磨灘に面する湊地区の一角には現在埋立地が展開し、工業地帯となっているが、その東側に残る古くからの集落地区には町の歴史を感じることのできる町並風景も見られる。 江戸期には阿波徳島藩領に属し、湊浦は庄屋と加子役(有事の際に徴用される船役)が課されていた。三原川の河口左岸に位置しており、港町・漁師町が発達した。 この町が最も賑わいを見せたのは明治期で、大阪商船の四国連絡便がここに立寄るようになり、内海航路の拠点となった。町には商家・商店や宿屋などが多く立地し、島南部の中心地のひとつとなった。 内陸側のバスなどが通る県道の海側の区域が古くからの港町で、多くが細い路地で占められている。海岸線に平行に、やや円弧状に連なる街路には所々伝統的な構えの建物が見られる。立派な入り母屋の屋根を持ち、本瓦を葺いた旧家があり、また1階部分の格子や玄関の重厚な扉が見事な商家など、港を背景にした町の発展の形跡が濃厚に見られる。また洋品店、スーパーなどの文字が消えかかりながら残る建物もあり、多くの人の行きかう賑わいの場所であったことが偲ばれる。また、「料理旅館」の文字のある建物もあった。営業停止されて時間が経過しているらしく、雨戸のはめられた窓が印象に残った。 四国航路の寄港地になった頃を中心とした繁栄の面影は感じられるものの、今では現役であるものはほとんどないと思われ、やや寂しさを感じる探訪となった。 |
訪問日:2024.11.30 | TOP | 町並INDEX |
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