丹生の郷愁風景

三重県勢和村【門前町・宿場町】 地図 <多気町>
 
町並度  6  非俗化度 6 
−丹生大師の門前町・伊勢別街道の宿場町として発展 古くは水銀の産地でもあった−





丹生の町並 妻入り町家が建ち並ぶ
 

 この丹生は古くからさまざまな要因で栄えていたところである。
 まず特筆されるべき水銀の産出がある。「続日本記」には、早くも和銅6(713)年の条に「令献伊勢水銀」との記述が見られる。当時は貢納のための水銀採掘が行われていたようだが、後には商取引も行われるようになり、座も構成された。また射和村(現松阪市)で生産が盛んだった白粉は丹生水銀を原材料として製造されていた。また奈良の東大寺大仏にも丹生水銀が用いられたという。
 水銀の生産は鎌倉期が最盛期であり、以後は徐々に衰退していった。
 また丹生大師の門前町としても賑わった。これは空海が開基したとされる非常に古い真言宗の寺院で、弘仁6(816)年完成といわれる。丹生のお大師さんと呼ばれ親しまれ、また真言宗の総本山・高野山が女人禁制であったのに対しここは女性の参詣も許されていたこともあり多くの客を引寄せたようだ。
 さらに門前の道は和歌山別街道と呼ばれた伊勢参宮の道であり、丹生は宿駅に指定されていた。
 水銀生産で町の基盤が築かれ、さらに門前町として茶店や土産物屋が並び、その後伊勢宮を参る人々の休泊するところともなった丹生の繁栄振りは大層なものだったろう。町は櫛田川により開かれた谷間の丘陵地に展開し、丹生大師より始まる一直線の街路と、そこから左右に派生する脇道に沿い古い町並が残っていた。これらは門前の賑やかさを今に伝えるものであり、また一部は旅籠や宿屋として経営されていたものもあるのだろう。街路沿いに簡素な案内板があったが、それによると大師に近いところを中心に食料品や土産物を商う家が集まり、その先には商家や宿屋が入り混じり建ちならんでいたようだ。切妻妻入りの旧家群は、それらの流れを汲んだ家々と思われた。
 台地上の起伏ある地形のもとに展開する変化が感じられる町並で、印象度の高い訪問であった。
 
 










丹生大師の門


訪問日:2010.10.11 TOP 町並INDEX