岩船・瀬波の郷愁風景

新潟県村上市<港町> 地図(岩船)地図(瀬波)
町並度 5 非俗化度 9 −北前船も寄港した村上城下の外港−


 この岩船と瀬波の二つの港町は、古くは畿内から瀬戸内を通り、日本海を経由して奥羽、そして蝦夷地までの舟運、通称北前船の寄港したところであった。そして、両町ともに城下町村上との深いつながりにより発展した。
 
岩船の町並





岩船の町並


 岩船は古くは琵琶潟とよばれる潟湖(海とつながっている湖)に沿った小さな漁村であったという。現在町の南側には砂丘が発達しているが、その東側の低地が琵琶潟のあったところであった。以後外海に面した石川の河口付近に港を構えてからは、次第に港町としての性格を濃くしていく。藩政期になり、村上藩の番所が設けられると藩米の積出し港として大きく栄えることになった。
 江戸時代初期の頃、既に廻船業を営む者のあったという記録があり、またその頃に記された「村上拾五万石御領内諸書書留牒」によると商船34、漁船70とある。漁業は近海ものが多く、加工された後米沢領内に多く送られていたとされる。
 現在訪ねると海岸沿いに立派な港湾が建設されている。この岩船港は、先の潟湖の影響などで土砂が流入しやすく、北前船でも大型のものは入港できなかったため、次第に港湾機能は衰え、明治以降の度重なる改修によって漁港としての体面だけは保っているようであった。
 町並は平地に位置することから面的に展開し、比較的整然と街路が整備されていることから、自然発生的な漁村とは違い町場として計画的に造られたらしい雰囲気が感じられる。予想に反して古い建物は少なく、所々に妻入りまたは平入りの町家が挟まっているのが歴史のある町であることを思わせた。
 この岩船から海岸沿いに約4km北方に瀬波の町がある。鮭の遡上で知られる三面川の河口左岸に位置する。途中には俗化した温泉地、瀬波温泉があるが、古い町とは南に大きく外れている。 町は岩船とは異なり日本海とは直角に川に沿い、ほぼ一本の街路に沿って中心街が展開する。海岸沿いの砂丘からその内側の低地に向けて緩やかな坂をなしていて、坂の上から望むとなかなか壮観な家並風景であった。
 ここの特徴は家々が平入りとなっている点だ。越後では全般に妻入りが主流であり、平入りのみで構成された古い町並は珍しいといえる。それは村上城下の外港とされていたからなのか。村上の町並も平入り主体の町並であり、それは城下町(都市部)の軒を接して家屋を建てざるを得ない事情によるものとも思われる。この瀬並は村上城下の外町とされていたと思えば、この平入りの連続も納得できる気がする。
 18世紀前半の享保年間の記録では、300石積も含め30余隻の廻船を有していて、また船大工も多く、生粋の港町であったことが伺える。
 特に町の東部では伝統的な建物の密度が濃く、木質感の高い越後独特の町並風景が展開していた。
 
 




瀬波の町並




瀬波の町並

訪問日:2007.05.03 TOP 町並INDEX