千住の郷愁風景

東京都足立区宿場町 地図
 
町並度 3 非俗化度 5 −日光街道 江戸日本橋から最初の宿駅−
 




千住四丁目の町並 右は代表的な横山家


 日光街道は奥州道中を江戸時代になって将軍の日光東照宮への参詣の目的で整備されたもので、途中には20余りの宿駅が指定されていた。起点の江戸日本橋から出発して最初の宿駅がこの千住宿で、東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿と合せ江戸四宿と呼ばれていた。




千住二丁目の町並




千住三丁目の町並



 常磐線の北千住駅前を西に進み、150mほどで旧日光街道にさしかかる。日光街道の宿駅に指定されてからは宿場町の範囲が南北に拡張され、江戸時代後期の天保15年の記録によると本陣と脇本陣それぞれ1軒をはじめ、旅籠は55軒を数える規模の大きい宿場であった。またすぐ北側に隅田川の流れがあり、千住大橋は文禄3(1596)年に架けられた同流域では最も古い橋であった。
 現在の千住1丁目から5丁目にかけてが古くから宿場町として機能していたところで、ここには問屋場と呼ばれる人馬継立の事務を行う機関、そして馬寄場と呼ばれる馬をつないで置く施設があったという。本陣は現在の駅前通りを挟んだ北側の三丁目付近にあり、この付近が千住宿の中心であったところである。
 旧千住宿は当時の規格、道路幅5間が現在でも踏襲され、都市化の波に飲まれながらもよくその道筋を残している。但しその一番の核心の付近は、サンロード商店街と銘打たれた近代的な商店街となっていた。
 しかし全く宿場町時代の面影が失われているわけではない。散見的ではあるが関東地方らしい出桁造りの町家が見られ、それらが店舗として現在も現役である。中でも眼を引くのはこの建てこみの中で寄棟屋根を四方に伸び伸びと展開した横山家住宅である。付近に残る唯一の江戸時代の建築で、長らく紙問屋を営み、伝馬屋敷とよばれた家の一つであった。伝馬屋敷は宿場町の家々の中では間口が広く、また奥行も深く、玄関は街道沿いから一歩引いた位置に置かれていたのが特徴で、現在もその姿をそのままの状態で残している。敷地内には古い土蔵なども残り、この旧宿場界隈では随一の建築的遺構である。
 都心からは少し距離のある位置とは言え、完全に都市化が進んでしまったこの地区にあって、横山家のような建物が残っている自体が貴重なものである。しかし伝統的な建物はこのほか数棟残されている町家風の建物だけで、既に町並からは歴史を感じることは困難になってきている。あとは横山家をはじめとするわずかな古い建物を、個のレベルでどれだけ維持できるかに重きを置くべきだろう。都内にあってはそれだけでも十分な価値があるものと思われる。完全に風化してしまわないように願いたい。

(2014.01追記)
 6年半振りにこの旧千住宿界隈を再訪する機会を持った。代表的な横山家住宅は健在だったが、当時記録していた伝統的な建物の中で見当たらないもの、明らかに建て替わっているものも目に付いた。
 街の更新の速度の激しい東京では致し方ないが、再訪は時に寂しい変化を目の当たりにすることがある。
 


 
横山家住宅


千住四丁目の町並
※この団子屋の建物は現在近代的に建て変わっている。


千住三丁目の町並
※この建物も再取材時は目にできなかった。

後半2枚:2007年5月撮影(他は2013年12月再取材時撮影)

訪問日:2007.05.26
2013.12.22再取材
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