瀬戸田の郷愁風景

広島県瀬戸田町<港町・門前町> 地図 <尾道市>
 町並度 5 非俗化度 8 −門前町よりも港町としての歴史が古い町−

 御幸町、堀内家付近の町並★  町並南部の福田地区。漁師町らしく板壁の家屋の並ぶ狭い小路が入組みます★。




豪壮な構えの堀内家 堀内家付近の町並 
耕三寺門前の町並  浜旦那の一つ得能家の土蔵の連なる路地
 

 現在は本土、四国とも陸続きとなり、車で安易に訪れることのできるようになった生口島は尾道市の南海上、因島の南側の島である。ここは西日光ともいわれる耕三寺があり、橋を渡って観光バスも続々やってくる観光の町として知られる。
 耕三寺が建立されたのは昭和に入ってからで、中世からの港町がこの町元来の姿である。近隣の町の通船網の中心であったが、交通盛んな瀬戸内海にあって尾張、阿波、攝津、そして九州方面からの船の入津もあったという。また、小早川氏の三原城下町の外港としても位置付けられていた。
 加えて江戸期に入ると周囲に入浜式塩田が開かれ、問屋・商人が台頭した。この製塩業は瀬戸田の主産業として昭和に入っても続けられたが、戦後塩業整備の波が押寄せると、その後は柑橘類の栽培に転向し今に至っている。
 瀬戸田の港町は、現在の瀬戸田港付近の海岸部に細長く伸び、今でも胡町、御幸町、新町付近に古い町並が残っている。また南側の福田地区はそれに連なる漁師町で、細い路地が巡り面影を残す。耕三寺が出来てからは門前町的な性格も帯びて、細長い土産物街が東へ伸びている。
 御幸町には「浜旦那」と呼ばれた豪商の一つ堀内家(屋号三原屋)が残っている。主屋は入母屋の屋根を持つ非常に重厚な作りで、明治9年に建てられた当時のままで残されていた。内部は公開されていないが土蔵二棟、茶室や回遊式庭園も備えた屋敷型の旧家で、狭い港町の中で圧倒的な存在感である。この周囲にはナマコ壁を配した土蔵なども残り町並らしいところである。幹線道路を挟んだ南側の新町にも、袖壁が残る家並が連なっていた。
 

※★印の画像は2003年1月、その他は2005年3月撮影の画像です。

訪問日:2003.01.12
(2005.03.27再取材)
TOP 町並INDEX