中野の郷愁風景

広島県瀬戸田町<農村集落> 地図 <尾道市>
 町並度 5 非俗化度 10 −観光地の裏側に人知れず残る豪農集落−





 豪農集落を思わせる中野集落の風景 
 

 瀬戸田町のある生口島は近年隣島から架橋され、本州と陸続きになった。耕三寺周辺は大型の観光バスによる団体客を含め、観光客の姿が絶えないが、そこから1kmばかり離れた山裾に意外な印象の集落が残っていることはほとんど知られていない。
 この中野地区は瀬戸田の町の後背地にあたっていて、港町に対して産業町であった。耕三寺からは小高い山を挟み反対側に位置していて、集落の前面は平地が広がっている。古くより製塩業が盛んなところで、この平地はかつて塩田であったという。その後埋立てられて造船所として開発するなどし、この時点集落は海からかなり後退した。
 柑橘農業も古くから盛んで、1863(文久3)年に生れた能勢七郎は「五果園」を作り、果樹や除虫菊の栽培に力を注ぎ、産業の振興に尽力した記録が残っている。一方で海運業も盛んで、船持も十数軒あったという。そのように他業種に転変しながらも常に島の産業の先端を走っていた町といえる。
 その中でも現在の姿には農村集落としての色が最も濃かった。
 中野の家並は港町地区などとは大きく異なり、連続した家並を作らず広々と展開していた。多くは明治から大正にかけて建てられた家で、入母屋造りの主屋を持ち、広々とした庭に土蔵が配置されている。そして長屋門のような立派な門を構えているものもあったが、門の中は収穫した柑橘類を保存したり、農機具を格納しておく倉庫として現在は利用されているようであった。土塀を巡らせたものもあり表向きは武家町のような町並であった。
 今回15年ぶりの再訪であったが、主立った建物はほぼそのまま残っており安堵した。







 


 

2020.08最終訪問時撮影    旧ページ 

訪問日:2003.01.02
(2020.08.09最終訪問)
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