摂津富田の郷愁風景

大阪府高槻市<在郷町> 地図
町並度 4 非俗化度 7 
−寺内町に発祥した町 一時は商業規模的に高槻中心部をも凌駕していた−







 高槻市富田地区は高槻の中心部からは南西に3km余りのところにあり、JR線及び阪急京都線が並走しそれぞれ駅が設けられている。
 阪急電鉄の駅の南側は古くは寺内町に発祥する古い富田の町で、大都市近郊地域にありながらも比較的濃厚に往時の姿を残していた。
富田町6丁目の町並


 中世の様々な記録から富田は寺内町として発展したことが確実とされており、室町期に創立した光照寺(後の本照寺)を中心に本願寺の門徒が集まって寺内町が形成されている。本格的な町の発展としては江戸時代に入り、徳川家康から商業の特権を与えられて酒醸造を始めたことによる。富田の酒は急激に各地にその名が広がり、江戸にも盛んに搬出されていたという。最盛期には24軒もの造り酒屋があった。
 以後、池田・伊丹・さらに灘など後発の酒どころに押されて衰退してしまったが、当時は城下町であった現在の高槻市中心部よりも商業的に賑わっていた所だった。
 現在は古くからの町場が大都市郊外型の住宅地として取り囲まれてしまい、駅前風景からはここに古い町並が出現するのが俄かには信じられないが、本照寺の近くに整備された水際の公園から南に外れたあたりは細い路地が錯綜し、伝統的な建物があちこちに見られた。その密度は濃くないものの、造り酒屋「清鶴酒造」が現役であり、しかも母屋や土蔵が伝統的な外観のまま創業されているのが大きく町の歴史的景観に貢献している。これが失われると富田は古い町並から歴史の残り香を感じることは困難になるだろう。
 大都市近郊地区に残されていることでこの古い町並の存在価値は高いものがあり、もう少し地元の方々が意識していただけないものかと思う。









訪問日:2014.07.19 TOP 町並INDEX