船岡の郷愁風景

宮城県柴田町【城下町】 地図
 
町並度 4 非俗化度 8  −柴田氏の城下町 町割が色濃く残る−

 

 

 



 
 



 
往時の町家地区の面影が残る船岡の町並 
 

 柴田町は阿武隈川の下流域、支流白石川が合流する位置にあり、町域南部を東北本線と国道4号が横断、槻木駅からは旧国鉄丸森線の阿武隈急行線が分岐している。古くは奥州街道が通り、阿武隈川水運も盛んに行われるなど長きにわたって交通・物流上重要な土地であった。
 町役場のある船岡地区。市街西側の小高いところにはかつて船岡城が構えられていた。江戸初期のいわゆる伊達騒動の結果、柴田氏が船岡城主として入り明治維新まで居館した。仙台藩は柴田氏に5000余石の知行地、家中170、足軽53を与えた。
 城下町は城山の東に整然と建設され、町家を取り囲むように家中屋敷を配置、町の最も外側にあたる位置に足軽屋敷を配し、住民の安全性が図られたものであった。鬼門にあたる北東角には寺院が配置された。
 古い町並として主に残っているのは町家地区で、連続的な町並の連なりという形ではないが厳かな門を構える屋敷、土蔵、店蔵などが見られ、面影を感じさせる。中には街路から控えた位置に複数の付属屋、土蔵などを従えた旧家の姿もあった。
 屋敷の外側を板塀に囲われているものが目につき、ブロック塀に変っているものも少なくないが、それらから城下町に由来する格式高いさまがうかがえる。また、路側に水路が巡っていることも、探訪していて清々しい気分にさせてくれるものであった。


訪問日:2022.07.16 TOP 町並INDEX