志布志の郷愁風景

鹿児島県志布志町【港町・武家町】 地図 <志布志市>
町並度 4 非俗化度 8 −麓集落から貿易港として発展−
 




志布志一丁目の町並


 鹿児島県の東端、志布志湾に面し、東を宮崎県串間市に接する位置に志布志の町はある。
 江戸期は大隅でなく日向国諸県郡に属していた当地だが、実態は鹿児島藩の外城(直轄地)であり、いわゆる麓集落が置かれていた。
  しかし江戸中期以降になると麓集落としての役割は淡くなっていく。藩士が常駐することはなくなり、次第に地元に運営が任されていったからだ。今残る姿は、麓集落というより地域の政治の中心としての姿なのだろう。
 湾に注ぐ前川の河口に港が設けられ、麓集落の対岸に港町が発達した。ここは江戸や上方方面から薩摩への玄関口、さらに南に湾口を開くことから南西諸島方面への諸船も発着に便利な立地であった。大隅半島一帯から日向諸県地方の藩米は多くがここに持ち込まれて大坂蔵屋敷に航送されていた。
 廻船業者も存在し、街中にはそれらの商家の姿も多く見られたという。町家が千軒並んだといわれたように、江戸末期にかけての志布志は、政治、流通、経済の中心として大いに発展を遂げることとなった。鎖国政策を敷いていた当時、南方からの異国船の監視に神経を注いでいたこの地域のこと、港に置かれた津口番所で出入りする船の取り調べが徹底されていた。
 明治になってからはその役割が廃止され、町はかつてよりは衰退したのだが、日露戦争以後、艦隊の寄港地として位置づけされるようになった。それをきっかけに港湾が本格的に整備され、大阪をはじめ各地への貨客船が発着する港となった。
 二つの町並の顔を持つ町の中で、港町としては残念ながらそれに歴史を感じることができない。わずかに土蔵や数軒の町家風建築、洋風の建物等が目につく程度である。それに対して武家町は比較的その風情を残していた。帖という地区がそれに該当し、現在でも生垣や石垣に縁取られた旧武家集落らしい街の風景が残っている。町の中心から外れたことで、偶然にも往時の佇まいが残されたのだろう。
 全体的には残念ながらやや活気の感じられない町であった。鉄道交通の面でも、志布志は日南線・志布志線・大隅線の三線が集結する拠点駅だったのが、今では日南線の終点として、細々と短編成の列車を迎えるだけの状態となっている。
 








帖の町並 旧武家町の地区で中心街とは異なった風情があった

訪問日:2014.01.03 TOP 町並INDEX