信楽の郷愁風景

滋賀県信楽町<産業町> 地図  <甲賀市>
町並度 4 非俗化度 5 −国内屈指の窯業の町−




 
 


 小路に沿い窯元や売店などが見られる信楽の町並 


 県の南端、標高300mほどの高原盆地に開ける信楽の町。古代には平城京の遷都先として紫香楽宮が造成されるなど深い歴史が刻まれた土地で、平安期には信楽荘が置かれている。
 古くから農業が基幹産業であったが、特筆されるのが信楽焼で知られる窯業で、遅くとも鎌倉中期には本格化していたといわれる。農耕用の水がめや壺など生活のための品々が製作され、商品化されていた。16世紀前半の室町期頃になると、茶湯の普及により古信楽と呼ばれる茶器の数々が生産され、信楽の焼物は広く知られるようになった。
 江戸期に入り商業活動が盛んになると、信楽焼は大坂、京都、堺を中心に各地に販売され、寛政7(1795)年には大坂表出張会所を設置し問屋4軒を定め、販売を強化した。生産活動も地区により製品の種類が分けられ、大規模な登り窯も多数造られ増強された。
 信楽茶と呼ばれた茶の生産とならび一大産業町として隆盛を誇った。茶は明治以降急速に規模が拡大し、同11年には400戸近くが茶栽培や加工業に従事し、東京・横浜をはじめ同じく茶処である宇治にも出荷された。
 旧国鉄信楽線に由来する信楽高原鉄道信楽駅は盆地中央を流れる大戸川の右岸にあり、それに対して市街地は支流の信楽川左岸に展開している。町内の街路形態はかなり入組んでおり、無秩序といってよいほどで歩いていると同じところに戻ってきたり、また袋小路になっていたりと迷いがちとなる。そのような所にも焼物の小さな店舗があり、狸の置物をはじめ壺などの商品が並べられている。看板などない普通の民家と思われる建物でも、庭先に無造作に並べられている風景もあった。
 古い町並は、それら路地の随所に見られ土蔵などの見られる裏路地的風景が点在している印象だが、信楽川に近い地区には商家的な連なりが見られる箇所もあった。銀行や商店もあり、国道沿いに移る前は町の中心であったのだろう。町並風景よりやはり焼物の町としての印象が強く、観光用に公開された窯元もあり、少し入ってみると立派な登り窯が連なり一部は食事処として利用されていた。
 
 


 


 
信楽の路地風景


 


 
 窯元巡りの一角にある料理旅館・小川亭   



 
 中心街の町並 観光用に残された登り窯 

訪問日:2023.06.04 TOP 町並INDEX