重富の郷愁風景

鹿児島県姶良町<武家町> 地図 <姶良市>
 
町並度 4 非俗化度 8 −重富郷と呼ばれた地区の中心−






 石垣と生垣の連なる重富の町並


 

 鹿児島市から東に錦江湾を辿ると、桜島を右手に見ながらもしばらく峻険な海岸線が続き、この重富で平地が展開してくる。
 戦国時代には岩剣城が構えられ、天文23(1554)年には島津氏と蒲生・祁答院方との合戦の舞台ともなった。この戦で勝利した島津義弘の居館となっていたが、山城で生活に不便であったこともあり里に平松城を築き、新たに起居することになったという。 
 




重富小学校の門
  

 元文3(1737)年、藩主島津継豊が越前島津家再興させ、周囲の五箇村をあわせ重富郷と名付けた。以後平松城は当家の居館となり、周囲には家臣団をかためて麓集落を形成した。郷の成立時、364戸、1200人余りの士族、36戸、88人の足軽を数えていたとされる。
 現在の重富小学校は旧平松城の敷地に建てられており、周囲に見られる石垣は当時からのものという。野面積みと呼ばれる古い石の積み方で、適度に風化し、また植生に覆われたものもあり風情をかもしている。小学校の門も麓集落で時折見られる石柱をかたどったような厳かなもので、もと県庁にあったものを移設したものという。
 学校前の街路は館の馬場と呼ばれた集落の中心街で、所々にある門構えからも旧麓集落らしい端然としたさまを感じることができる。住民の意識が高いからか、生垣などもよく手入れされ散策路としても適している。
 一方この地区から1kmほど海側、県道沿いの白金酒造は県内最古の酒造家として知られ、伝統的な石蔵を中心に若干古い町並的景観が見られる。後発的に地域の中心集落の一つとなったのか、一部に石垣や生垣に囲まれた風景も見られた。




 
白金酒造と付近の町並 
 

訪問日:2020.01.02 TOP 町並INDEX