島原界隈の郷愁風景
| 京都市下京区【花街】 地図 町並度 5 非俗化度 4 −祇園が発展する以前は最も繁栄した花街だった− |
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かつて花街として大きな賑わいをしめしたこの島原地区。寛永18(1641)年に六条三筋町からここに町が移転した際、その騒動の様子が島原の乱に似ていたことからそう呼ばれるようになったという。正式には西新屋敷という。 江戸時代の最盛期には遊宴の地に留まらず文芸の先進地でもあり、特に和歌俳諧に関しては島原俳壇が結成されるなど、文人墨客が集うさながら文化サロン的な側面も併せ持っていた。 明治以降は祇園など市街地東側の繁栄とともに衰退、花街としての機能は失われた。現在では揚屋であった「角屋」と置屋であった「輪違屋」の二軒にその姿を留めるのみである。 旧角屋は「角屋もてなしの文化美術館」と称して一般公開されており、贅を極めた座敷群を見学することが出来る。外観も間口16間(約29m)もあり、全面格子窓を路地に向けて構える姿は威圧感すら感じるほどである。 西新屋敷と町外はいくつかの門で行き来でき、今は東の入口であった大門が残されているのみだが、もちろん門の内外で町の様子が大きく異なることはない。門の外側でも中小規模の町家建築がある程度連なって残り、古い町並らしい佇まいを見せていた。 |
| 旧揚屋・角屋の建物 自身が町並を形成している | |
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| 旧置屋・輪違屋 | |
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| 角屋の横路地 | 島原の大門 |
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| 地区を出ても面的に町並が見られる 下松屋町通(大宮通の一本西側) | |
| 訪問日:2025.12.13(再訪問) | TOP | 町並INDEX |
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