静岡県島田市<宿場町> 地図 |
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大井川川越遺跡の風景 | |
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市博物館別館に復元展示される明治期の家屋 | 慶長の大洪水後に築かれた島田大堤 |
大井川は東海道新幹線の車窓からもその大きな存在を感じることができ、蒸気機関車列車の運転などでも知られる大井川鉄道が東海道本線の金谷から流域をさかのぼる。その源流は長野県と山梨県の間に貫入した県域最北部、赤石山脈の東側に発しており、かつてはここを境に遠江国と駿河国に分れていた。 旧東海道時代には川を挟むように左岸側に島田宿、右岸には金谷宿が配された。大井川は川幅が広くまた急流であることから架橋することができず、東海道随一の難所であった。旅人は川会所とよばれるところで川札を買い、人足により渡渉する他なかった。水位により川札の値段が変化し、当然高水位の折には渡し賃が高く、また川留めになることも多かった。 島田宿には川越を統制・管理する川庄屋が置かれ、享和3(1803)年の記録では4名配備されていた。年行事9・添役2・待川越12などの役が置かれ、川越人足350名を抱えていた。人足はその後嘉永年間には約650人を数えたという。 大井川は度々洪水を起し、そのたびに堤防の再構築を余儀なくされるなど災害と向きあい続けた宿場町であった。また延享元(1744)、宝暦13(1763)、天明3(1783)、慶応2(1866)年には大火があり、宝永4(1707)と安政元(1854)年には地震により大きな被害を受けた。 現在往時の宿場町の様子は「大井川川越遺跡」として復元された形として残っている。むろん、多くの生きた古い町並にも復元整備された建物は多数あるのだが、ここでは人々の暮らしはなく、宿場町の家並を外来者に見て貰うために造り、整備したものである。洪水をはじめとした被災歴もあるため、これはやむを得ぬことだろう。それよりよくぞ本物の町並を忠実に再現されたものと評価できるほどであり、古い町並として掲載したい。 |
訪問日:2019.11.03 | TOP | 町並INDEX |
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