鵜方の郷愁風景

三重県阿児町【商業町】 地図  <志摩市>
 
町並度 4 非俗化度 7  −江戸期の鳥羽藩鵜方組の中心 現在は観光の拠点−





 
鵜方の町並


 鵜方は志摩地方の南部、英虞湾に流れ込む河川が丘陵地を刻み小盆地状となり市街地が展開している。地名はかつて付近に干潟の芦原があり、多くの鵜が棲息していたことに由来するという。
 現在では志摩地方の観光拠点の一つとなっており、近鉄鵜方駅は特急が停車し、先志摩半島方面へのバスの拠点となっている。一方で駅の北方には細い路地が複雑に巡った町並があり、駅表口の拠点駅らしい佇まいとは対蹠的な風景が展開している。
 駅付近からは少し小高いところに展開するこの一角には所々伝統的な構えが見られる。中でも一番目につくのが土蔵で、壁面全体に焼板あるいはトタン板を廻しているのが特徴である。小窓には銅板の扉が取り付けてあり、厳かさの中にも可憐さを感じるようなその姿は町並景観に寄与している。また瓦を埋め込んだ土塀もあちこちに見られる。それらと住宅とが織り成す風景はどちらかというと農村に近い雰囲気が漂っている。
 江戸期には鳥羽藩鵜方組に属し、先志摩半島にかけての13ヶ村が属しており鵜方村はその中心であった。志摩南部各地への拠点として商業の集積があったようだ。天和元年(1681)領主の献上品として糠や藁、柿渋などのほかマテ貝など海産物もあったと記録される。
 路地を辿っていくとまた同じところに出たり、また土蔵に挟まれた小路などに迷い込んだりと複雑に入組んでいるのがわかる。西側には宇賀多神社と棲鳳寺が、集落を見守るような佇まいを見せていた。その門前には旅館の姿もあった。
 




土蔵が向き合う路地 旅館の建物(左)




棲鳳寺付近の町並


訪問日:2022.01.02 TOP 町並INDEX