下館の郷愁風景

茨城県下館市<城下町・商業町> 地図 <筑西市>
 
町並度 5 非俗化度 8 −わずかに残る城下の商業地の痕跡−







金井町の中屋製菓 金井町の町並



 



分厚い屋根の重厚な商家 金井町の町並






国道50号線沿いにも伝統的な建物が散在しています。
 

 下館市は茨城県の西部に位置し、水戸線が通り栃木県真岡や下妻・水海道を経て土浦方面に向う鉄道の分岐点にある要衝の地である。それだけに古い歴史を有していて、平安末期にはこの地域を統治していた伊佐氏が伊佐城を築き、南北朝期には当城が南朝勢力の拠点となっている。東を五行川に接した小高い丘は現在でもこの城の地点から細長く南に伸びて西側の平地とを限り、馬の背のような独特の細い鞍部が市街中心部を縦断している。要害の地に相応しい地形である。
 江戸期に入り城下町が整備され現在の町の基盤が作られている。城の南側、先の細長い台地の東に田町筋・金井町筋という中心的な町筋を計画し、町々では「下町十人士」が独自に統治にあたっていた。「下館日記」の中に、「東下りに田町、かない町、さくら町、三すじ」とある。元禄11(1689)年には田町の町衆を中心とした火消組織も編成されている。
 このうち金井町に今でも古い町並が残る。但し国道50号線沿いにわずかばかりと、そこから北に入った街路に沿い100メートルほどやや固まって残っているだけである。この筋が旧金井町筋なのだろう。ここには黒漆喰に分厚く塗り固められた無骨で重厚な蔵造りの商家建築、町家が連続して残っており、古い町並としての体裁を残していた。中でも中屋製菓とその斜向いの建物は総二階建ての黒々とした堂々たる体躯を持ち、狭い範囲に凝縮された見応えある町並景観の中心をなしていた。
 これらの町家群は藩の奨励で繁栄した木綿産業をはじめとした商家の名残なのだろう。真岡木綿と呼ばれた近隣の木綿はここに集結して、鬼怒川水運を利用して江戸に出荷されていた。
物資の流通をもとに江戸文化が比較的早い時期から伝播していたらしい。高名な俳人・与謝蕪村もこの地に10年間ほど逗留していたという。
 質的には凌駕するものがあるにもかかわらず、隣の結城市とは違い全く古い町並に対する取組みがなされていないのが気にかかる。首都圏外縁部にあり、更新の波が及ぶことが心配される。
 
 
 
訪問日:2004.10.10 TOP 町並INDEX