下仁田の郷愁風景

群馬県下仁田町<商業町・街道町> 地図
町並度 5 非俗化度 8 −信州とを結ぶ街道の結節点に商業が栄えた−









下仁田の町並 一部は商店街となっているが連続性の高い町並が連なっている


 群馬県の交通の要衝・高崎から上信電鉄というローカル私鉄がこの下仁田まで達している。明治中期に開通した非常に古い鉄道で、名が表すようにさらに西進し信州とを結ぶ目的を持っていた。その計画は頓挫したのだが、下仁田界隈は古くから信濃への街道筋にあたっていたので、人荷の往来が多く鉄道の需要も大きかったのだろう。
 この下仁田をはじめ西上州では地味が稲作に適しておらず、米は信州佐久地域から移入されていた。また現在でも蒟蒻や葱が名産となっているように、水田に恵まれない代りに畑作が盛んに行われていた。その他麻や絹、紙、砥石などが特産とされ、信州の米と交換されたのだろう。ちなみに下仁田の葱は江戸にも出荷されており、「殿様葱」とも呼ばれる高品質のものであった。
 地図を見ると信濃佐久一帯から上州側に入ると嶮しい坂道となっており、川の合流点となるこの下仁田辺りから平地が広がっている。ここが佐久米をはじめ商品の集散地となり、周囲の山地の村人はここに出てきて、米を中心とした物資の売買や交換を行っていたのだろう。ここに商業が発達し、町場が形成されたのは極自然のことに思える。
 古い町並が残るのは上信電鉄の駅を起点とすると西に250mほど、南北に走るやや広い街路に沿って展開している。北は国道にぶつかる辺りから南は鏑川にさしかかる手前まで分布し、南半分を中心に商店が目立ちやや純度は薄いものの、切妻平入りの町家建築が連なっている。北が高く南が低いなだらかな坂が続き、緩やかにカーブしているので機械的な街道風景ではなく古くからの町並らしい印象であり、先が見通しにくいためにこれから現れる町並への期待感も抱かせる。
 終着駅の町ということもあってか、ひときわ趣深くかつての旅人も西に向っては上州最後の、江戸や日光などに向う人々は峠を下った最初の町ということで、感慨を抱くことも多かったことだろう。 
 







訪問日:2008.10.12 TOP 町並INDEX