下関の郷愁風景

新潟県関川村<宿場町> 地図 
 町並度 5 非俗化度 4  −豪農屋敷の残る米沢街道上の町−






下関には大地主であった渡邉家(上・公開)の他、数軒の伝統的な邸宅が固まって残っている


 山形県に源を発する荒川の中流域であるこの付近は、羽前と越後とを結ぶ主要道が古くから開発されたところで、米沢街道と呼ばれ、下関にはその宿駅が設置されていた。
 この下関の町並は町家の連続したような一般的に想起されるものとは大きく趣が異なる。街道に沿い、広大な敷地を有する豪農屋敷風の古い邸宅が連続する。このような屋敷は、単独で存在するか、或いは町家などの建込みの中に挟まって存在する例は多いものの、連続することは稀である。そうした意味で独特の町並展開を示しているといえる。
 中でも抜群の存在感があるのが渡邉家住宅で、越後でも屈指の地主であり豪農であった威光が外観からも感じられる。村上藩主であったとされる初代より、後に酒造家として大成し、さらに広大な山林や耕地を所有する大地主となった。最盛期には70人余りの使用人を抱え、米沢藩への融資を行うなどの業績もあって後に同藩勘定奉行格を与えられるほどとなった。邸内は公開され、豪農屋敷と呼ぶにふさわしい何棟もの土蔵、広大な土間や座敷、美しい中庭などが見学できる。主家は撞木造りとよばれる、平入りの建物に別棟の妻部をぶつけたような独特の建て方がなされており、付近にもこの建て方の家屋が多い。屋根は珍しい昔ながらの石置きの姿が頑なに守られていた。




  
 
 渡邉家に隣接して津野家、佐藤家と豪農屋敷が連なり、それらは茅葺の壮大な屋根を有し風格と威厳を感じさせる。この並びだけで町並の風景として充分見る価値のあるものといえるだろう。 
 米沢街道は米沢方面からの米をはじめとする農産物、越後方面からの塩などが盛んに往来し、物資はすぐ下流の大島村で荒川の船運から陸送に切り替えられることが多かったため、この下関は大きく賑っていた。上関村とともに上流側の米沢藩領であった玉川村から、下流側の大島村までの継送り業務が行われていて、宿駅として大きく発展し駅馬も多数所有していたという。
 この付近は現在でも有数の穀倉地帯であり、幹線道の往来と水運、そして豊かな山林、水田に囲まれた環境で、豪農屋敷の立地に必要な条件が揃っていると感じた。
   




渡邉家の土蔵群と屋敷の内部

訪問日:2007.05.03 TOP 町並INDEX