信濃川田の郷愁風景

長野市若穂川田<宿場町> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 7 −北国街道松代道の宿駅−
 


 
若穂川田の町並 土蔵の目立つ町並風景であった


 長野盆地の千曲川(信濃川)より東の地区は田園地帯が広がり、長野電鉄が地方都市や小さな集落とを結んでいる。
 但し、この川田地区を経由する支線はまもなく廃線になるとのことである(2012年3月)。しかしこの支線は北国街道の脇街道、通称谷街道または松代道と呼ばれた旧道にほぼ沿っており、味わいのある町並が点在するところだ。
 谷街道は北国西街道(善光寺道)の稲荷山宿から分岐して千曲川を渡渉し、城下町松代を経て須坂、小布施を通り飯山に達していたもので、さらに越後方面にも通じていたことから日本海の物資の行き来も盛んであった。
 川田村は慶長16(1611)年に早くも宿場町として指定され、松代藩の傘下に組み入れられた。町の形は非常に特徴的で、街道を南にコの字を右90°に回転したような型に折り曲げ、その位置に町場が築かれている。中心の東西の道は今でも悠々乗用車がすれ違えるほどの幅を持ち、国道や町の中心が長野電鉄の北側に展開している中にあって異質な町並空間である。その本町通の中心にかつて本陣があり、両端に秋葉社が祀ってあった。現在遺構はないが高札場が復元保存されているあたりには宿場町らしさを感じることができる。
 家々の建て方にゆとりが感じられ、ぎすぎすと建てこんだ宿場町らしい色は乏しい。しかしそれは脇街道のこと比較的建て方に余裕を持っていたさまが伺える。土蔵が街道に面した姿は大街道の旧宿駅の町並では余り眼にしないが、ここでは町並の主役は土蔵群であった。或るものは土壁を露出した素朴な姿を残し、他のものは漆喰に丹精に塗り込められ、大きくかさ上げされた屋根に覆われていた。
 コの字の屈曲の位置には常夜灯が1基ずつ残り、その姿に歴史の重みを感じる。幹線道路からはずれ、時折地元の方の姿を見かけるだけの静かな町並であった。









訪問日:2012.01.02 TOP 町並INDEX