新市の郷愁風景

広島県新市町<産業町> 地図 <福山市>
 
町並度 4 非俗化度 9  −家々の更新が続く備後絣の町−


 

新市の町並
 

 新市町は府中市の東にある南北に細長い町である。古代からの官道山陽道に沿っており、宿場を示す「駅屋」という地名も町内に残る。また、市街北部にある備後吉備津神社は806年に備中の本社の分霊をまつったものといわれる。このようにここは非常に古い歴史をはらんでいる町だ。
 新市町を有名にしているものに繊維産業と花卉(特に菊)栽培業がある。中でも繊維の町としての位置付けは高い物があり、作業着やジーンズの素材などは全国のトップシェアを占めている。これらは最近の産業誘致によって発展したのではなく、江戸末期からの絣(かすり)織りからの流れである。
 江戸期よりこの地域は綿花の栽培が盛んであった。農民は作業の合間に自家用の木綿を織っていたが、福山藩は領内の産業開発のため、木綿の作付けを奨励し飛躍的に綿栽培面積を増大させた。文久元(1861)年、この地の富田久三郎(1828-1911)が絣織りの手法を開発、副業だった絣織りは基幹産業となった。絣に欠かせない藍の栽培も盛んになって、この繁栄は第二次大戦前まで続き、戦後は大量生産の合成繊維に移っていった。




「大正通り」の町並




 大坂その他に出荷されるようになったのは明治に入ってからで、中期には問屋が町中に軒を並べるようになったという。新市駅の北東側を中心にそれらの名残が見られるが、福山などの都市近郊の機能も強く、連続した古い家並はほとんど残ってはいない。それでも屋敷型の中庭を従えた旧家、切り妻平入形式の民家が散在している。二階部下半になまこ壁様の装飾があり、この地方に良く見られる形式である。但し繁栄時期となった明治後半以降の物がほとんどのようで、桟瓦葺きのみであり、厨子二階、卯建や袖壁、虫籠窓等は見られなかった。
 駅前の大通りの一本北側、町役場に近いあたりに「大正通り」と名付けられた筋がある。大正時代絣の中心であったところなのだろうか。この通りにも数軒、伝統的な造りの商家を目にすることが出来た。



訪問日:2002.09.22
2014.10.19再取材
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