新庄宿の郷愁風景

岡山県新庄村<宿場町> 地図 
 町並度 6 非俗化度 4  −出雲街道 峠下の宿場町−

 


 




凱旋桜・水路と石見瓦が特徴の旧新庄宿の町並






 旧美作の国の北西端、鳥取県に接する新庄村は現在、人口千人余りの小さな山間の村である。しかし江戸時代には、製鉄業の繁栄そして出雲街道の宿場として繁栄を見たところである。 中国山地一帯で盛んだったこの鑪(たたら)式製鉄は、新庄でも元禄年間より最盛期を迎え、勝山藩は大規模な鉄山を経営していた。今でも村内には製鉄に関する地名が残っている。
 なおたたら式製鉄は原料の砂鉄を採取するため大量の山肌を切り崩すため河川に土砂が流れ込み、農地にとっては痛手であった。補償問題ともなり、一時は伯耆より砂鉄が輸入されていたこともあった。
 伯耆との物資のやり取りは出雲街道を経由して行われた。険しい四拾曲峠を越えてようやく美作に入ってきた旅人は、ここで一息ついたのであろう。多くの宿場町がそうであったように、参勤交代時に賑わいを見せ、松江藩によって本陣も置かれ、御茶屋といわれた。
 石州瓦で統一された宿場街は、川向こうの道の駅付近から見ると壮観である。宿場に入ると、爽やかな流れの音が聞こえる。そして街路の両側には、延々と桜並木が続く。これは日露戦争の勝利を祝して植樹されたもので、「凱旋桜」と呼ばれ、新庄宿の最大の特徴となっている。
 旧脇本陣が現存しているほか、この町の家々は、昔の屋号(現在も使われているかも知れないが)を表札とは別に玄関横に掲げていることも特記される。
 美作地域の出雲街道沿いの各町並は、自治体などで標識が整備されるなど町並を意識した取組が始まっているが、土産物屋などもなく自然な佇まいを活かしたものであることが好感が持てる。しかしこの新庄宿では、植樹後約100年経過した凱旋桜の維持が課題のようで、あちこちに幹のまわりをグルグル巻にされた痛々しい治療中の木を眼にした。


旧脇本陣

 ※後半2枚:2001年11月撮影
   その他:2008年9月撮影

訪問日:2001.11.04
(2008.09再取材)
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