塩竃の郷愁風景

宮城県塩竃市<港町・漁村> 地図 
 町並度 4 非俗化度 6 -松島湾を望む商港・漁港として発達-



 
鹽竈神社
 松島湾に面し有数の港湾都市として知られる塩竃市。JRの駅や施設名などは塩釜と表記されることもあるが塩竃が正式な表記である。市街中心の小高い所には奥州一宮とも呼ばれる鹽竃神社がある。
 



 
 本町の佐浦酒造付近の町並 
 



 
 本町の町並 宮町の太田與八郎商店付近 


 


 
  宮町の町並
 

 江戸期には仙台藩のもと、城下町仙台への物資の陸揚港として重要な役割を担っていた。天和2(1682)年の『松島眺望集』という書に載っている絵図では、塩竃神社の丘の南から東にかけて町家が描かれ、船留めと桟橋が見られる。
 伊達氏はこの頃塩竃に対して年貢の免除を行い、貞享2(1685)年には九か条の特例を塩竃に発布した。それは租税の免除及び下賜金、馬市の許可、芝居や見世物などの許可、新田を開くことの自由、商人の品物や緒船を塩竃に発着できるようにといったもので、特権や商取引、娯楽の自由を得た町は急速な発展を見た。もともと130軒ほどの町場であったものが、安永3(1774)年には483軒、人口も二千人に迫るほどになった。
仙台で消費する全ての海産物は塩竃に陸揚げすることが定められていた。
 明治に入ると塩釜港が本格的に整備され、また商港として主に三陸沿岸地域との人や物資の往来の拠点となった。大正・昭和初期と相次いで岸壁が拡充されるなどして、商港・貿易港として重要な地位を築いた。
 漁港としても好漁場・金華山沖への根拠地として整備され、魚介類の水揚げだけでなく水産加工業、製氷業も発展した。
 道路が拡張・整備されるなどして古い町の姿は淡くなっているものの、塩竃神社の丘の麓付近には随所に面影を感じることが出来る。銘酒「浦霞」を醸造する佐浦酒造店は享保9(1724)年に酒造株を取得したという非常に歴史のある老舗で、格式を感じる主屋のほか多数の蔵を従え、付近の町並の象徴的存在となっている。道路を挟んだ反対側の宮町には、これも幕末頃創業の太田與八郎商店が威厳のある構えを見せている。仙台味噌・醤油として知られる老舗である。そこから塩竃神社への参道に入ると、こちらにも所々に店蔵を構える店舗が見られる。
 
訪問日:2022.07.16 TOP 町並INDEX