白河の郷愁風景

福島県白河市【城下町・宿場町】 地図
 
町並度 4 非俗化度 7  −奥州の表玄関−


 



本町の町並


 白河市は栃木県から続く那須産地北側の標高350mほどの台地上に市街地が展開している。
 白河関で知られるように、古くから奥羽地方の入口として重要な場所で、またそのことで数々の戦乱の舞台ともなった。
 中世は白川氏が白河城を拠点として支配し、室町期には北関東の諸氏にも指導力を持つ一大勢力であった。しかし1590年の豊臣秀吉による奥州平定により、蒲生氏が会津に配置されると同時に会津領となった。その後寛永4(1627)年に棚倉から丹羽氏が移ってきて、以後城をはじめ家中屋敷や町人町などの城下町の体裁が整えられた。同20年には上州館林より榊原氏、さらに本多氏、松平各氏と細かい変遷をみたが、幕末の戊辰戦争時に激しい戦闘が行われて城郭のほとんどが破壊され、落城に至った。
 一方、城のすぐ南側を通過する奥州街道は往来も多く、城下町の発達に大きく寄与したが、この街道沿いも城下町の一部として商家などが建ちならんだ他、本陣や脇本陣各1、35軒の旅籠が立地するなど宿場町としても発達している。幕府管轄の狭義の奥州街道としてはこの白河宿までで、以北は東北の諸大名が管理していた。
 城は白河駅の北側に遺構が残っており、周囲に郭内や大手町といった地名があるのでこの付近が武家地だったのだろう。その南に接して旧奥州街道が東西にのびており、現在はこの街道沿いに主に古い町の姿が見られる。
 主に残るのは造り酒屋や商家の建物で、城下町や宿場町の名残というよりは明治以降の商業都市としての姿といえよう。漆喰に塗りごめられた土蔵、古い看板を掲げて営業を続けている老舗などが眼につく。石造の洋装の建物が理髪店として利用されている姿も眼につく。
 中町・本町・年貢町・桜町あたりが古い町の中心で、桜町の西端で街路が二度直角に折れる箇所があるのも、城下の宿場町らしいところである。新しい建物や店舗に変わっている箇所も少なくなく、商家横が空地になっているところもあるが、そのような場所では、それらの広い奥行と土蔵などを見渡すこともできる。
 市は旧奥州街道沿いの所々に案内看板を設置し、一部の伝統的な建物を「歴史的風致形成建造物」に指定し標章を取付け、案内文を記載している。それらを読み歩くことで探訪が味わい深いものになる。
 




年貢町の町並




桜町の町並

訪問日:2015.09.22 TOP 町並INDEX