白沢の郷愁風景

宇都宮市白沢町<宿場町> 地図
 町並度 4 非俗化度 7  −奥州街道一番目の宿駅−
 








街路の両側に水路の残る旧白沢宿の町並


 宇都宮までは日光街道と共通であった奥州街道はしばらく鬼怒川の右岸側を北上し、単独となって最初の宿駅・白沢宿が設けられていた。現在は住宅地と田園の交錯する郊外の風景が展開するが、明らかに街道集落であるとわかる風景が展開している。
 宇都宮宿から2里28町余り、氏家宿に1里半ほどで、天保期の記録では旅籠13を有し、本陣・脇本陣も各1軒を有し参勤交代時にも対応した。大通行時には近郷31ヶ村から助郷を出したという。
 商業も盛んに行われ、その代表が馬市で安政6(1859)年には500頭もの馬が集められ、宇都宮藩が馬の買入金の一部を補助したという。穀類のほか綿・煙草・茶なども栽培され各種店舗が軒を連ねた。
 明治18年に現在の国道4号が整備され、旧白沢宿はそのまま残されることになり往時の姿が残されることになった。ほぼ一直線の街路の両脇には水路があり、当時は生活の水場だったのだろう。現在は水車が廻っていた。家並は軒を接する形ではなく比較的余裕を持った建て方で、平入りや妻入りも混在し旧宿場町らしい統一感は感じられなかった。各家には屋号を記した札が立てられ、また案内板もあるなど町の歴史を守り伝えようとされているようであった。
 街道沿いの裏手にまわると、この地域独特の大谷石の蔵があちこちに見られ、独特の町並風景をかもし出していた。これらは表の商家の裏手に建てられたもので、宿場町の町割らしい奥行の深さがわかる。




 街道裏手に見られる大谷石の蔵

訪問日:2019.04.28 TOP 町並INDEX