白井の郷愁風景

群馬県子持村【商業町・市場町地図 <渋川市>
町並度 5 非俗化度 5 −宿と呼ばれるほど栄えた市場町の遺構−









水路のある街路に沿い町家・井戸などの遺構が散見される白井の町並


 利根川の支流吾妻川と利根川本流が合する辺りに白井の町並が展開する。町の西側は舌状に張出した丘陵地で、その東麓に南北に細長く約1km弱ほど連なる。
 この丘陵には中世より白井城が建てられ、上野国守護であった上杉氏はじめ長尾氏、一時真田氏が支配していたが寛永元(1624)年に廃城となる。 
 しかしこの白井は渋川に2里、前橋・沼田に4里余、中之条に5里など上州各地から非常に便利な位置にあり、旧城下町を利用し市場町として大きく発達した。薪や木材、穀類をはじめ、煙草や木綿、繭糸など多種にわたり、また造り酒屋も5軒あったという。当初は街路に面した露天商であったが、次第に家並が連なり商家も集積した。白井に行けば何でも手に入ると各地から多くの客の訪れがあった。
 国道沿いに道の駅があり、白井の町並はその裏手から南に向って始まる。その姿は特徴的で、街路の中央に水路があり、並木が連なっている。水路は白井堰と呼ばれ、雨水などの排水のために掘られたものである。またあちこちに井戸が残っているのも、段丘上に位置するため地下水位が深く、水の確保に苦労した昔を感じさせる。街路は直線性が高く、一見整備された散歩道、または小公園のようである。しかしこの通りは江戸期の市場町、さらに以前の城下町にその生い立ちを求めることの出来る非常に古い町並である。
 伝統的な家々はそれほど固まって残っていないのが少々惜しまれるところである。その中で屋号豊嶋屋の町家はうだつを立ち上げた塗屋造りの長屋門という珍しい建屋が残っている。酒造業を営み、生糸も商っていた豪商で、この町並を代表する旧家である。また元質屋であった屋号叶屋は独特のせがい造りの軒を持つ大柄な二階屋を持ち、抜群の存在感を示していた。その他散在的ではあるが平入りの町家建築が残っており、この地方一帯で盛んであった養蚕が行われていたことを示す気抜きの越屋根が飛びだした家屋も多く眼に出来る。
 町のほぼ中央には古びた石橋と道標が残る。道標には北は沼田城下、西は草津や越後、南は日光・江戸道が案内され、各方面への道が分岐し、また集まって来たところであった。
 




 

 この白井は通称白井宿とも呼ばれる。面白いことに字も上宿・中宿などとある。しかし宿駅としての記録はなく、城なきあとは一貫して在郷町・市場町として発達してきた。それは一直線の街路に沿い一列に商家の連なり水路も流れる一見宿場町風のたたずまいであることと、各地からの利便性がよく交通の上でも要地であったためだろう。
 古い町並としてはやや特殊な景観を展開させているといえる。あちこちに案内板があり、町は探訪者のことを意識され、旧家や水路、井戸などの遺構を保存すべく努力なさっているようであった。
 


訪問日:2008.10.13 TOP 町並INDEX