白石の郷愁風景

宮城県白石市<城下町> 地図
 
町並度 3 非俗化度 7 −数多くの特産品・産業に支えられた城下町−





 城下町白石は今でもその雰囲気を伝え、市街中心部には小高い山に復元された白石城が見え、外堀として使われていた麓を流れる沢端川付近には武家屋敷も一部残る。この周辺は緑濃い水辺の散歩道となっている。
 城北町の商家




亘理町の町並 中町の町並。かなり見応えのある店蔵だがアーケードが邪魔している。




二つ並んだ土蔵(母屋の裏手の風景) 亘理町の町並
 

 
 関ヶ原の役の後に片倉氏が入城し、城下町が形成された。仙台藩南境の防衛という意味では極めて重要な役割を担っていたが、この片倉氏は維新まで200年余り城を守り通している。
 片倉氏を支えたのはこの町に大層発展した各種産業のお蔭だろう。まず現在に至っても有名な特産品として温
(うー)麺が挙げられる。これは油を使って作る素麺に対し、一切油を使用しないため健康食品で、ある庶民の家で胃腸の具合の悪い父のために作ったのが広まったとされている。「安永風土記」では、白石の名産として「温麺・紙布・紙子」が挙げられている。紙子は紙そのものを指し、紙布は縦糸に絹又は木綿の糸を、横糸に上糸を使って織った製品であった。この紙子・紙布製造は片倉家の家臣が多く内職として従事し禄高不足を補ったとされている。現在でも白石和紙の名で継承されている。その他周辺諸村を含め、煙草や紅花、葛粉、天花粉などが特産物となっていた。
 それら商業・産業の蓄積により城下には数多くの商家も建ち並んでいたのだろう。市街地のあちこちに重厚な土蔵造りの家々が残っていて、歴史のある町との認識を覚える。但しそれらはほとんど散在の域を出ず、町並といえるほど連続したものではない。しかし様々な意匠の土蔵を見て廻るのは楽しい。隣家同士で競い合って蔵を建てていった様子も窺える。
 蔵造りの家々は白石城の東の国道113号線沿いと、中町付近の商店街で主に見られる。但し商店街はアーケードに被われていて、せっかくの蔵造り商家の全容が見られないのが残念であった。
 



訪問日:2005.05.21 TOP 町並INDEX