手島の郷愁風景
| 香川県丸亀市 【港町・産業町】 地図 町並度 5 非俗化度 9 −塩飽諸島の一つ 廻船や大工職人などを擁して発展− |
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| 港に近い平坦部を中心に展開する手島の集落 | |
手島は丸亀市沖約15km、本州との中間地点付近にあり塩飽諸島の一部を構成している。小豆島の近くに同じ読みの島があるが豊島と表記するため区別することが出来る。 中世は本島と同様塩飽水軍の拠点の一つとして栄えた。江戸期は幕府領で、他の塩飽諸島の島と同様人名制(複数名で領地を管理する制度 「名」とは領地を指す)が取られ、本島の年寄の下、浦庄屋による支配が行われた。 島民は水主役として公用を勤めるなどする見返りに、特例により税が免除され、領地内の農産物や塩浜などからの収益などが人名の収入に宛がわれ、地域の自治を任されていた。島民は幕府より比較的安定した生活に恵まれていたものと考えられる。 また人名は廻船業にも従事しており、そこから船大工や宮大工が発達した。塩飽大工と呼ばれ、北前船のような大型商船の築造、寺社建築なども手掛け一躍有名な存在となった。明治に入って同5年の職業の記録では、農業46・船乗りや漁業5に対して大工職68と際立って多く、船舶のみならず西日本各地の有名寺院の建立に腕を振るった。 港は島の東岸にあり、集落は比較的平坦な地形が広がるその周辺に固まっている。構えが立派な建物が多く、入母屋屋根を構えるもの、門と塀に囲われた中に主屋と土蔵が見られるもの、本瓦を持つものなどがある。家々が密集している箇所は少なく港から離れるに従い畑地が混在するなどして段々家並は疎らになるが、一部では路地風景に風情を感じる箇所もあった。また花崗岩が豊富に入手できるからか、家々の基礎などに黄身を帯びた石積が多用され、これも印象的なものであった。 一角には制札場がほぼ原形のまま残され、これも貴重なものだ。 歩いていても余り住民の姿は見られなかった。昭和30年代は600人以上の人口を有しているというが、今では30人足らずとのことで、集落の西部にある小学校も閉校され、現在は市の研修施設として使われていた。 |
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