勝幡の郷愁風景

愛知県佐織町<宿場町> 地図 <愛西市>
 町並度 4 非俗化度 7  −二つの街道の交差点として宿場が発達−




 勝幡町下市場の町並 勝幡町塩畑の町並 元郵便局か 




 勝幡町塩畑の町並




 奥行深い商家建築も見られる
 

 勝幡地区は濃尾平野のほぼ中央、日光川に支流の三宅川が合流する低地にある。名鉄津島線の駅が設けられ、その北側に中心市街地が展開する。地名は塩畑があったことによるとされるが、それを勝幡と書き間違えたとの説があり、面白い話だ。実際現在の地名には塩畑の名が残っている。
 中世には勝幡城という平城が存在し、16世紀後半の永禄年間まで続いていたとされる。尾張藩領であった江戸期には主に農漁業集落で、『寛文覚書』によると家屋数131・767の人口を擁し、年貢米は船で廻送したとある。
 交通面では地内を高須街道が縦断し、名古屋城下と津島、美濃高須とを結んでいた(特に津島までは津島上街道ともいう)。清須城と勝幡城、津島を結ぶ清洲街道もここで交差していた。勝幡城廃城後は役割が低下したものの、宿場町として問屋・茶屋23戸を抱えるほど発達した。また、農間に商売や往還人夫を行うものもあった。
 大正初期に鉄道が開通すると工業や料理店、芸妓置屋業なども興り、農業以外の産業も盛んになった。
 勝幡駅から北西に伸びる街路を100m余り進むと北向きの道道とぶつかる。これが旧高須街道で、切妻平入の形式を中心に伝統的な建物が見られる。また郵便局や店舗の建物に洋風の外観を施したものも見られる。現在は周囲も宅地化され境界が定かではないが、以前は周囲の田園と明確に区別できる街道集落として賑わっていたのだろう。
 両街道の交差点付近には道標が残され、案内板も設置されていた。
 
 

訪問日:2020.07.19 TOP 町並INDEX