総社の郷愁風景

岡山県総社市<門前町> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 8  −総社宮の門前町として発達−
総社宮の南側 東西に伸びる街道上の町並
  

 総社という意味ありげな地名は、平安時代に備中に散在していた300余りの神社を一まとめに祀って作られた神社に由来している。備中国国司が毎年これらを巡拝することが困難となったための措置であったが、戦国時代頃には「総社宮」と呼ばれ、古くは八田部と言われていたこの町は維新後次第に総社という呼び名が一般化した。
 そのような神社であるから一般の参拝客は多く、江戸時代になると門前町が形成され、現在の市街地の基礎となった。また松山(現高梁市)城下へ向う街道上にもあたっていたので宿駅的な性格も帯び、寛延3(1750)年の記録では酒・質屋4軒、質屋7軒、油屋5軒、問屋4軒、小見勢屋25軒など商家71軒が数えられている。そしてこの八田部村の南に接する井手市場と呼ばれる地区には市場役人が置かれ、100軒近い商家が並んでいたという。人の集結するところ、交通上の要点でもあり、この二つの村は総社宮を中心とした商業地として松山藩の財政を支えていたのだろう。
 現在、市街地は伯備線の東側、国道180号線・吉備線の南側の地区が中心地区である。その多くの部分では近代的な町並に取って代わっているが、東総社駅に近いかつての総社宮の門前地区には昔の雰囲気が残っていた。中2階で袖壁、虫籠窓などの意匠を持った町家があちこちに見られる。総社宮のすぐ南の位置には明治43年建築、旧総社警察署の洋風建築が公開されていて、町並の良いアクセントとなっていた。




街路に対して斜に構えて建つ町家




古い町並で最も目立つ洋風建築は旧総社警察署(M43建築) 裏手の土蔵


訪問日:2005.01.30 TOP 町並INDEX