馬見原の郷愁風景

熊本県蘇陽町<在郷町> 地図  <山都町>
 
町並度 5 非俗化度 7  −国境の高原地帯に位置する物流・交通の要衝−


 





馬見原の町並 屋号を記した大柄な商家建築が見られる


 県の東部、宮崎県との境に近い高原地帯にある馬見原地区。東西に峠を控えた小盆地状をなしており、太平洋にそそぐ五ヶ瀬川の上流域に位置している。熊本藩の管理により国境を控えた町場として発達した所で、現在も旧日向街道を踏襲する国道218号に、阿蘇高森から日向椎葉方面へと向う国道が交差し、交通の要衝となっている。
 阿蘇の外輪山を越えるなど険しい道程が多い中で、この街路はなだらかな高原状で国境を越える。一方、日向方面は高千穂付近を過ぎると険しい峰々と谷間が支配し、耕地に恵まれない土地だった。比較的平地が多く肥沃な後背地にも恵まれる益城地方との地勢の差も、物流が盛んになる条件だった。加えて高千穂地方には鉱山が多く、労働者の米や塩、農産物の需要も高かった。
 藩は早くも天和元(1681)年には町建てし在郷町に指定した。国境にあることから肥後国内だけではなく豊後竹田や日向三田井(高千穂)、椎葉など国外各地からも商人が集まり、交易が盛んになった。ここから三田井へは馬見原駄賃という荷駄で輸送され、それに携わる駄賃付と呼ばれる人夫も多く行き来した。比較的峠道がなだらかなのも物資輸送には好都合だったのだろう。
 現在も五ヶ瀬川左岸の台地上にその名残を留め、交差点から南側の国道265号沿い、そこから西に分岐する街路に沿い伝統的な建物が見られる。前者では造り酒屋や旅館の看板を掲げる建物が見られ、特徴的な三階建の塗屋造りの建物は醤油醸造業を行った屋号新八代屋で明治17年築。また後者では大柄な妻入りの商家建築が幾つか見られ現在も商店として営業されている。この県境近くの山間部に於いても大きく寂れた気配はなく、商店街として続いているのは貴重といえるだろう。
 ここは歌人・若山牧水が泊った記録が残っている。明治35年に延岡から街道を辿り熊本までの旅の途中だったようで、「和泉屋ト云フニ泊ル待遇頗ル厚シ、馬見原ハシャレタ町ナリ」と日記に記したという。
 




造り酒屋と醤油醸造の屋号・新八代屋


訪問日:2023.09.24 TOP 町並INDEX