須原宿の郷愁風景

長野県大桑村【宿場町 地図
 
町並度 5 非俗化度 8 −清冽な水場のある木曾路の宿駅−
 





 旧須原宿は中山道木曾路のほぼ中央に位置する宿場で、宿駅機能としては各1箇所の本陣と脇本陣、20余りの旅籠が存在していた。現在は木曽川沿いの段丘上に街路が延びているが、かつてはほぼ川岸に展開していて、18世紀前半の正徳期に発生した洪水により現在の位置に街道を移設したものである。周囲の旧宿場町と比較し街路幅が広いのもそのためだという。直線的な街路展開なので鉄砲町とも俗称されていたようだ。
 重要な宿場町によく見られる直角の折れ曲りもなく、開放感のある佇まいであるが、中央付近ではやや急なカーブがあってお互いを見渡すことができず遠見遮断が図られている。その曲線付近では家々が軒線を揃えて連なり、街道集落らしい町並風景を展開させていた。
 この旧須原宿で知られるのが水場があちこちに整備されていることだ。もちろん現代になってから造られたものではなく宿場町当時からのもので、これも江戸中期に川岸から町が移設された際整備されたものだという。宿内に7箇所も設けられていたといわれ、それらはいずれも木曽の豊富な木材をくり抜いた水場が設けられていたため水舟と呼ばれ旅人や地元住民に親しまれていた。今でも多くが残り、憩いの場となっているようだ。
 出桁調の構えや1階部分の出格子などが特徴的で、屋根は寒冷地のためにトタンに被われたものが目立つが赤褐色の瓦を葺いたものもある。一軒一軒を仔細に観察するとその違いが感じられるものの、町並全体では余り差の目立たない統一感のある家々が連なっているといえよう。
 中山道はここから京方にはしばらく木曽川とともに下った後、野尻・三留野・妻籠の各宿駅を経て馬籠峠を越えると美濃路はもう近い。




曲線に沿い家並が連なるなど連続性の高い町並だ




 水舟と呼ばれる須原宿の水場


訪問日:2008.06.08 TOP 町並INDEX