須川の郷愁風景

群馬県新治村<宿場町> 地図 <みなかみ町>
 
町並度 5 非俗化度 4 −台地上の平地に一直線に展開する旧三国街道宿場町−














開放感のある須川の町並


 江戸から越後・佐渡への重要な街路として五街道に次ぐ格のあった三国街道。上越国境の三国峠に由来し、峠道は険しいものの、北国大名の参勤交代、佐渡金山を管理する佐渡奉行の往来など重要通行も多かった。
 須川は街道上の宿駅の一つとして発達、江戸寄りの布施宿より十九町(約2km)、利根川右岸段丘上の須川平と呼ばれる平坦地に集落が展開する。
 藩政時代は沼田藩領、幕府領、長岡藩預り地として経過した後旗本久世氏領となり明治を迎えた。村民は街道の往来に依って生活を維持していたようで、江戸初期に市場が開設されたとされるが目立った商業活動は行わず、また凶作に見舞われる事もしばしばで農産物に恵まれているとも言い難かった。
 宿場街は全長約500m、街路幅は広くほぼ直線状に展開する。防衛上の理由で屈曲などを設け見通しを悪くする例が多い中で異例とも言える。往時は街道の中央を水路が通っていたという。
 問屋を兼ねた本陣と脇本陣が隣り合って置かれていた。旅籠の数ははっきりした史料がないが、天宝13(1842)年の佐渡奉行の宿泊時には脇本陣他6軒、同年の越後村松藩の参勤交代時には18軒に分宿した記録がある。
 宿場街の家々は街道から少し引いた位置に建てられており、その間に生垣や植込みがあり緑が濃い。また周辺に目立った建物もないため非常に開放的な印象を抱く。中山道や東海道などの旧宿場町とは随分異なった外観を示している。
 脇本陣跡は須川宿資料館として公開されるほか、一帯を「たくみの里」と名付けて旧家群を利用し体験型施設等が整備されている。近くに道の駅もあり多くの客が訪れる。半ば観光地のようになっているが、宿場町の家並は大型看板などを出来るだけ避け、往時の姿を尊重しようとされている姿勢は共感できる。

訪問日:2018.06.09 TOP 町並INDEX